【セクシー】女性向けセクシービデオは幻想なのか?


あるネットメディアで、ある女性ライターさんが、女性向けセクシー動画についてあれこれ書いていました。
この記事はそれなりの可燃性を含んでおり、ネットの片隅でちょっとだけ火がつきました。フツーの人には取るに足らない程度の炎上だったのですが、「女性向けセクシービデオにはちょっとしたうんちくがある」人間として、団長なりに見解を述べたいと思います。

 

■女性の性に関する前史

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女性の性解放をめぐる議論は、現代フェミニズムの一つのテーマです。明治以降に形成された父性社会は、あるべき婦人像を規定し、処女性と禁欲という宗教的な概念で女性の性を抑圧してきました。大正時代にフェミニズムの隆盛が起き、平和な時代がゆえの退廃的な性文化の発展により、女性の禁欲は若干緩まりましたが、その流れも度重なる戦争、戦時体制により再度封印されていくことになります。

敗戦をへて日本の文化は徐々にアメリカナイズされていくわけですが、その過程で再度日本的フェミニズムが復活し、人権運動と結びついて大きく発展、女性への性に対する抑圧は、攻撃的なフェミニストの人たちによる男性的価値観への突撃により大穴が空きました。

一方で、思想世界とは別のレイヤーで、女性の性はゆるやかに解放されつつありました。

きっかけとしては、日本人の性が早熟になった、性的コンテンツに接する機会が増えた、性に対してオープンなアメリカンな価値観が浸透した、性に対する欲求を以前ほど隠す必要がなくなったなど、様々な理由が考えられます。これらの要素が複合的に関係しあった結果、なし崩し的に性に関する規制や社会通念がが形骸化されていきました。
また、多くの性的文化やビジネスが社会問題となる一方、それらが流行ってはすたれを繰り返すうちに、女性自身が性に関する敷居をさげていったという背景もあるでしょう。

これら性をめぐるモーメントは男性が消費する商品や情報、すなわち市場として形成されていったものです。しかし、男性が性に対して貪欲になれば、その相手をする女性側にも波及することになります。
やがて秘匿されていた女性の性的願望はBLやラブグッズというカタチである程度の市場性を持つようになり、それに従い性的な制作現場に女性が加わる機会も倍々に増えていくことになります。

そしてセクシービデオという、性的コンテンツ業界において大きなウェイト占める商品群も、当然のように女性に消費されていく時代が訪れます。その大きなきっかけとなったのは、映像を視聴する危機が小型化し、個人専用の視聴環境を用意できるようになったことでしょう。すなわち、パソコンやケータイといった、パーソナルデバイスの普及です。

 

■多くの女性にセクシービデオの視聴機会を与えた「ケータイ」

特にケータイは、それまでのパソコンと違い一人に一台という原則があり、かつ他人のケータイは例え家族でも所有者の承認なしに見ることはできないという、不正アクセス禁止法に基づくルールもあり、完全にプライベートな情報機器としての地位を確立していきます。

そのようなケータイの特性が固定化されると、マネタイズがしやすい性的コンテンツを取り扱う情報事業者が爆発的に増加しました。もともとパソコンで性的コンテンツの提供を行っていた事業者も次々とケータイの世界でビジネスを展開していくことになります。
当初は画像やテキストが主でしたが、iモーションを代表とするケータイでも再生できる動画のフォーマットが策定されると、当然のようにセクシービデオの動画を配信する事業者も増加していくことになります。

そのような流れで、性への興味を持つ女性のセクシービデオ視聴機会が大幅に増え、女性がセクシービデオを消費する時代へと突入していきました。

当時は女性向けのセクシービデオなどはありません。女性達は男性向けに作られたビデオを見ていました。
しかし、ケータイでセクシービデオを配信する事業者は、自社サイトに登録しているユーザーの25%~30%程度が女性であると分析していました。一方、廉売化が進み1本のビデオあたりの利益が激減しつつあった各セクシービデオメーカーも、新たな地平となる女性の需要に応えるビデオ制作の必要性を考えていました。

しかし、具体的な方法も落としどころも見つからず、需要を感じながらも手がだせない状況が続きました。女性がどのようなビデオを欲しがるのか、見当がつかなかったからです。
このジレンマは、女性向けセクシービデオ市場は巨大な潜在市場だという認識をより一層高めることになります。

 

■セクシー男優の女性誌登場

そのようなジレンマに風穴を空けたのは、女性誌と一人のセクシー男優でした。

出版不況の足音が大きくなる中、女性誌の売上げも悪化。そのような中で、恋人との性生活をテーマにした記事が増えていきました。これも女性の性の解放からの恩恵とも言えます。女性が男性から性感を与えられるだけではなく、その行為を一緒に盛り上げ楽しむ立場へと移り変わっていった結果でしょう。

その教本ビデオに、本職であるセクシー男優が登場。その甘いマスクと演技で大きな話題となりました。
これは女性のセクシービデオ観を大きくかえるきっかけとなりました。

そのセクシー男優と専属契約した女性向けセクシービデオメーカーは、女性だけで構成され、女性が好むアングル、ドラマ性にこだわり、女性が理想とするセックス・ストーリーを再現することで需要を掘り起こすという、これまでのセクシービデオメーカーには考えられなかったメソッドで、誰もが手を出せなかった「女性向けセクシービデオ」という市場に乗り込むことができました。

極めて簡単に、その女性向けメーカーの構成要素をあげると以下のようになります

  1. 「エロメン」と呼ばれる容姿端麗なキャスト
  2. 行為にいたるまでのドラマ性
  3. これまでのセクシービデオにあった女性が忌避、不安視する要素の排除
  4. 女性が安心できる行為にこだわった内容

特に1と2の要素が、そのメーカーの特徴を語る上で主要素となっているように認識されています。

この成功を受けて、各メーカーも女性向けブランドを設立し、同様のメソッド、すなわちキャストとドラマ性という要素を最重要視し、後続需要を狙う動きを見せました。

各社から「女性向け」セクシービデオが発売され、夢にまで見た「女性向け」市場は大きな膨らみを見せるように思われました。

結果から言えば、そんなことはありませんでした。先行するメーカーを含め、女性向けビデオメーカーは売上げで苦戦することとなります。
そう。「女性向け」市場というのは、各メーカーが夢想していたいた巨大な市場ではなかったのです。

 

■幻想だった女性向け市場

結果的に、「女性向け」セクシービデオはニッチな立ち位置におさまってしまいました。
2011年から盛り上がった女性向けセクシービデオのムーブメントは、需要に火が付かなかったため急速に勢いを失い、2016年現在、ほぼ活動を休止してしまったブランドも多数見受けられる状況です。また、そのような需要を見込んで乱立した女性向けセクシー動画サイトも見込んだ需要が得られず、身売りされたりひっそり閉鎖されたりと、残念な末路を辿っています。

乱暴に言えば、「女性向けセクシービデオ」というビジネスは、ほぼ失敗に終わったという結論となります。ですので、例の記事の指摘は、ビジネスの面でいうなら、かなり正しいと言わざるをえません。

なぜ「女性向け」という市場がそんなに小さかったといえば、実は「女性向け」というジャンルを創設する以前に、女性ユーザーは取り込めていたからです。

セクシービデオを視聴する習慣を持つ女性は、お目当てのセクシー男優を見るか、実生活で満たされない性欲のはけ口を見つけるか、ムラムラしているから見ているかという、男性とほぼ変わらない欲求によって視聴しています。

つまり、従来のビデオで十分だったわけです。

何人かの女性向けビデオのファンの方に聞いたところ、セクシービデオを視聴するきっかけは、「カレシと見てハマった」「女友達とふざけて見たら面白かった」「ホテルに泊まった時にヒマつぶしで見たら好みの男優に出会った」というものが過半数でした。
女性誌によるエロメン特集は、その雑誌を読む(すなわち行為の情報を知りたい)読者には価値があったでしょうし、ビデオに興味があった女性の背中を押した効果はあったでしょう。

しかし、それでも大きな需要を生み出すことができず、これまで男性向けを見ていたユーザーを横移動させた程度で終わってしまいました。
視聴環境が整い、女性が手軽にセクシービデオを見られる時代になったとは言え、やはりまだまだ敷居が高いのです。それは心理的な壁でもあるでしょうし、倫理的なものかもしれません。カジュアルになったのは事実としても、その人が見たいと思うかどうかはまた別の話なのです。

 

■マイノリティコンテンツとしての「女性向け」ビデオ

だからと言って、これら女性向けセクシービデオがダメということはありません。需要が薄かったもの、経済的に成功しなかったものが否定されるような社会では、文化の多様性は期待できません。

セクシャルなシーン以外でも、お気に入りの男優が登場しているシーンを見るのも別にいいでしょう。もちろん購入者にはスキップしている人もいるでしょうけど、見ている人が一人でもいるならそのビデオには文化的な価値があるということになります。

また、これは個人的な所見ですが、実は女性と男性の性的興奮て言われているほど差がないと思っているのですよね。
女性のほうが想像力が逞しいというなら創作の世界は女性に牛耳られていなければならないでしょうし、男性が視覚でしか興奮しないとするならポルノ小説は成立しませんし、脳内妄想がないなら二次元コンテンツがここまで流行することもありません。
まった男性が全てが視覚的に興奮するかと言えばそうでもないですし、女性が視覚で興奮しないのならば、男性の裸が不謹慎であるという議論も生み出されないでしょう。
セクシーコンテンツに舞台設定は必要とされない説は根強く、私もこの説を強く支持しますが、そうは言え行為に入る前の舞台設定の説明や導入のとしてドラマ部が大切なコンテンツがあるのも事実です。

記事で筆者が否定しているドラマ部にしても、男性だってファンの女優が可愛い芝居をしているところは見ていて楽しいように、女性もセクシー男優がドラマを演じていることを楽しいと思う人もいるのは当然です。

結局、性差があったとしても実はスケベな心は男女それほど変わりがなく、最終的には個々人の嗜好や出演者の好み、その時に見たいものなどの要素によって揺れるだけに過ぎないと思ってます。
なので、この手の議論で「男性と女性の性的興奮のトリガーは違う」と前提づけるとすごい勢いでズレていくのではないかと、これまで販売やユーザーサポートの現場を通して私は確信しています。
むしろ男性と女性で差をつけることは性器の形状と機能の違い、脳構造の違いを根拠に言われているのでしょうが、今時の男女平等な社会でわざわざ性差を持ち出すのはどうなのかなと思います。性の役割は社会構造によって変化することは民族学上の常識となっていますが、女性の性的権利解放を叫ぶ先行フェミニストほどこの意見を支持するのは、とても不思議なことと感じています。

本稿の結論は、「別にドラマ部がどうでも誰が好きでも個人の自由だし、それを誰かが悪し様に言う権利はない。男女の差?今時なに言ってるの?」ということです。

例の記事の筆者はフェミニストではありませんし、先述のようにある面で正しい事を指摘しています。
ただ、旧態依然とした男女の性差に論拠を求めるところと、「女性向けビデオ」に対する理解の低さ、そして記事が読みづらさが気になった次第です。頭がいい人の文章は難しいですね。

(文/団長)


団長

「てらどらいぶ」管理人。 ゲーム開発のディレクター、動画配信サイト管理人のプロデューサーなどを歴任。 心のゲームは「ウィザードリィ」と「ザナドゥ」。ドラクエとFFならドラクエ派。

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