【古ゲーレビュー】プラズマティカリゼーション(PS)


レトロゲーと言うほど古くもなく、かといって今時のゲームではない。ポリゴン時代の到来と共にドット絵と電子音源から解放された、90年代後半~00年代のゲームを紹介してみようというこのコーナー。何回続くかわかりませんが、ゆるゆると紹介していきます。

記念すべき第一回目に取り上げるのはアークシステムワークスが送り出したアドベンチャーゲーム「プラズマティカリゼーション」。いわゆる「ギャルゲー」に属するゲームですが、サウンドノベルから発達した従来の、そして現在のギャルゲーと比べるとかなり異質な存在です。

8tnu01000000rjcp

主人公(デフォルトネームは射場荘司)が幼なじみの女の子、柊明美に誘われ、明美の従姉妹、さよりが切り盛りする避暑地のペンションで1日過ごすことに。ペンションを手伝う琴原みゆ、客で友達同士の鳴川澄香、沢村雪乃と、計五人の女性に囲まれ過ごすことになった主人公。

「初動開始」というスタート時は、ひたすらその「1日」の流れを追うこと、つまりテキストを読み続けるだけで終わります。プレーヤーが関与できる要素はありません。じっくり読むと30分くらいのテキスト量です。
そのテキストの大半は、主人公の小難しい「解釈」であり、ファーストプレイにして普通のギャルゲーにありがちなワクワク感や萌え、ハッピーさの欠片もなく、さりとて悲劇的な状況でもないという、平凡で乾いた世界観を提示されます。

主人公はやたら衒学的で小難しく勝手に解釈したがるくせがあり、なおかつ自分を含めた「人間」にあまり興味を持ちません。頭がいいわりに人を覚えることは苦手で、また自分の将来すら「どうでもよい」と思っています。
そのせいかコミュニケーションにも積極になれず、「ハーレム」状態にありながら、女性の中に男が一人混ざった状況に居心地の悪さを感じています。それを紛らわすため、何かあるとうんちくを弄んで自分の殻に籠もろうとします。そんな姿に自分を重ねるプレーヤーもきっと多かったでしょう。
それが感情移入に繋がればいいのですが、自分のネガティブ面を見せつけられているようで、かえって不愉快に思う人も多かったのではないでしょうか。

そんな感情移入できない(したくない)性格の主人公に対し、ヒロイン達の言動やふるまいは一見普通のギャルゲーのようであり、特別おかしなところもありません。かといって印象的ななにかがあるわけでもなく、極めて平凡なペンションでの1日は「何事」もないようかのように過ぎていきます。

しかしその平凡さは、夜となり日付が変わる頃に変化が起きます。森の中で見かけた人影、バードウォッチングをするために森にいたという男、そして翌朝、みゆがいなくなったとさよりに告げられることに。ここでようやく、何事にも無関心だった主人公が幼い女の子を探すという目的のために動きます。しかし、それが徒労と分かった時、少し抱いたモチベーションを否定しはじめ、いつもの自分に戻ってしまいます。

そんな中、木の根元で水晶にも似た謎のオブジェを拾うことになるのですが、ここでファーストプレイは終わります。

メニュー画面に戻ると「継続行動」という文字が。選択すると再度「きょう」が始まり、初動の時と同じく明美とペンションに向かうシーンから始まります。

ここが、プラズマティカリゼーションの最大の特徴となります。

…いや、ギャルゲーだし、スタートに戻るのは当たり前じゃない? と思われるかもしれません。

はい、その通りです。

もともとギャルゲーは、どのようなエンディングを迎えたにせよ、別の女の子とのエピソードや画像の回収を求めて再プレイすることになります。状態はリセットされて初日に戻り、前回とは違った選択肢を選んで別ヒロインのルートへ入ります。

プラズマティカリゼーションも、「継続行動」を選択すると、ペンションに向かう林の中で、初動の最後に拾ったオブジェクトを拾います。すこしだけ変化した「きょう」が訪れるわけですね。
プレイを進めるとまた「きょう」が終わります。そして「継続行動」を選ぶと、またちょっとだけ変わった「きょう」を始めることになります。ずっとずっと。

終わらない「きょう」を、永遠に繰り返していきます。

話が終わると同時に物語の最初に戻るのはギャルゲーの基本でありますが、プラズマティカリゼーションはその「コンティニュー」に独自の解釈を与え、ゲーム内の期間を1日とし、延々と「きょう」に囚われたとしたわけです。プレーヤーの「コンティニュー」という行動を世界観に組み込んだのです。

この「終わらないきょう」こそ世界観の根幹であり、「サークレイト・アドベンチャー(循環式アドベンチャー)」と称するシステムの特徴です。

2016年現在、このような設定を得たリライト系、循環系と呼ばれる世界設定は珍しくありませんが、プラズマティカリゼーションが発売された1999年にはまだまだ実験的な試みだったはずです。

それだけなら、初期のリライト系、ループものというだけで終わる話ですが、このゲームが今でもその特異性を放つのは、ストーリーの変化が主人公の直接的な行動の選択ではなく、オブジェに「状態」を記録、もしくは解放するという手段によるところです。

通常のギャルゲーなら、例えば幼なじみが校門前に待っていたようなシーンなら「一緒に帰る」「一人で帰る」という選択肢が出ます。どちらかを選ぶことでフラグが立ち、ゲーム後半以降にヒロインルートに入るというシステムがほとんどです。
しかしプラズマティカリゼーションの場合、選択肢はオブジェに状態を記憶するかどうかのみです。解放は記憶を所持していると自動で発生するので、選択肢はありません。
どのヒロインルートに入れるかは、複雑にフラグが設定された「正解」を、状態の記憶と解放によって導き出すしかありません。

基本的な「1日」の流れは同じなので、ゲームはスキップ前提とシステムデザインとなっています。大前提となる「その日」の流れはファーストプレイで掴み、セカンドプレイ以降、謎のオブジェを使って事象を変化させ、「その日」からの脱出…すなわちヒロイン達がかかえる問題の解決を試みます。

オブジェに記憶できる状態は5つまでと決まっており、かつ解放した時には記憶がなくなります。解放することで「その日」の流れは変化し、また新たな記憶を得るための状態を作り出すことができます。
記憶と解放を何十回(最悪百回を越す)と繰り返すことで、各ヒロインルートに入るための記憶を揃えることができます。同じ日の「連環」によって主人公の記憶がひとつながりになった時、各ヒロインのエンディングを迎え、ようやく「その日」を終えることができます(とはいえ、別ヒロインルート攻略のため結局繰り返しになるのですが)。

謎のオブジェは主人公の記憶の象徴であり、記憶そのものがゲームのテーマーです。
同じ日が繰り返されていることに「聡明」な主人公は早々に気づきます。なにか目印になるものを作ろうと林の幹を傷つけたり、既視感の理由をあれこれ探ります(もちろん、そうさせるのはプレーヤーです)。「きょう」はいわば記憶の檻であり、既視感とあやふやな記憶の間で、主人公は同じく「その日」にいるヒロイン達の物語に触れていくことになります。

なお、このように書くと難しそうに思いますが、実際にはエンディングを向かいたいヒロインを決め、彼女の問題を解決するかのような記憶を集めれば、基本的には各ヒロインルートに入ることができます。もっとも、選択肢を間違え記憶がリセットされる(何事もなく一日が終わる)場合もあるので、攻略に非常に時間がかかる場合も多いのですが。

しかし、苦労して入ったはずのヒロインルートでも、ギャルゲーのご褒美とも言うべき恋愛要素は薄く、主人公はヒロイン達が「失ったものを得られる」とされるこのペンションを訪れた理由、失ったもの、そしてその再生を手伝うだけです。最後まで淡々と話は続いていき、それが独特の雰囲気、プレイ感を生み出しているのですが、残念ながらプラズマティカリゼーションの評価は低く、クソゲーとさえ言われるようになりました。

「センチメンタル・グラフティ」の原画イラストに良く似たキャラクターデザイン(むしろセンチメンタル・グラフティより「再現度」が高い)、ギャルゲーと思わしきプロモーションをしてしまったせいで、本来このゲームを遊ぶべきではなかった層に売れてしまったせいです。
言うまでもありませんが、悪いのはユーザーではなく、そう錯誤させたアークシステムワークスです。

当時はギャルゲーブームということもあり、手堅く売るのにかわいい女の子のADV=ギャルゲーという方法がとりやすく、またおそらくプラズマティカリゼーション自体も「ギャルゲー」として開発されていたように思います。それがどこかで間違えてとんでもない怪作となってしまったのでしょう。

ネット上でも大きなバッシングを受け、クソゲー本の元祖となった「超クソゲー」にも取り上げられる始末。さらに様々な「場外乱闘」があったため、プラズマティカリゼーションは悪評にまみれることになりました。

かくいう私も実は、「あれはクソゲーだよ」という友人の言葉を真に受けて中古品すら買わなかったのですが、ゲームアーカイブで配信された時(2007年)に購入。PSPで遊んだ結果、あまりに面白くて熱中しました。ちなみに、私がゲームアーカイブで最初に買ったタイトルでもあります。
結果、たびたび電車を乗り過ごすなど、思いも寄らないハマり方をしたわけですが、今考えるとストーリーそのものより記憶を揃えるというシステムにハマっていたような気がします(ストーリーも嫌いではないのですが)。

その頃には周回プレイが前提で、全ヒロインルートをクリアするとトゥルーエンドが見られるようなギャルゲーも増えてきました。プラズマティカリゼーションの舞台設定が普遍化し、平凡な作品へと埋もれていく中で、それでも記憶と開放という独自のシステムはパズルのようにおもしろく、発売から8年が経過した当時でも他のゲームにはない何かがあるように感じました。

でも、そう冷静に評価できたのは、リリース当時のゲーマー界隈の憤慨が聞こえなかったからだと思います。面白いと思っても、周囲の評価に引きづられてしまう事もたびたびあります。
評判の良いゲームを「つまらない」と言うのも勇気と覚悟がいりますが、駄作と騒がれる作品を「自分は面白かった」というのもエネルギーが必要なことです。

なかなか、「クソゲー」を評価するのは難しいものです。

なお、文中にもありますが、こんなプラズマティカリゼーションは、現在PS Storeのゲームアーカイブで配信中です。

ゲームアーカイブス「Prismaticallization」

絶対オススメとはとても言えませんが、ゲーム史に残るユニークな作品であることは確かです。
興味があったらダウンロードして「終わらないきょう」を体験してみてください。

(文/赤蟹)


赤蟹

スベスベマンジュウガニ並みに猛毒を吐きまくる赤い蟹の人。「てらどらいぶ」の裏ボス。サイト管理とコーディング、デザインなどを担当。文章を短くできないのが悩み。

コメントをどうぞ

内容に問題なければ、下記の「コメントを送信する」ボタンを押してください。