【DQ30周年】ドラクエは国産RPGの何を変えたのか


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画像はドラゴンクエストライブスペクタクルツアー公式ページより

日本のゲームシーンに大きな影響を与えた、ドラクエこと「ドラゴンクエスト」が30周年を迎えた今年。様々なドラクエ関連の記念アイテムやイベントがリリースされています。
ドラクエシリーズ最新作の「ドラゴンクエストヒーローズ2」では、ドラクエのパロディドラマ「勇者ヨシヒコ」シリーズの主役を務めた山田孝之がキャスティングされたことでも話題となりました。
自身もドラクエの大ファンという山田孝之。CMでもアドリブで呪文を入れ込みまくるなど、ドラクエ愛溢れる映像にシリーズのファンは大歓喜。

というわけで、話題に事書かない今年のドラクエですが、中でも一番の目玉となるライブエンターテイメントショー「ドラゴンクエスト ライブスペクタクルツアー」が本日より開催となります。

いまや一大カルチャーとなっているドラゴンクエスト。そのドラクエは日本のゲームシーン、特にRPGシーンに何をもたらしたのか。とうとうと考えてみることにしました。

 

■1985年当時のRPGシーン

ドラクエ発売以前のRPGというと、以下のようなものに大別されていました。

  • D&DをはじめとするテーブルトークRPG(TRPG)
  • D&Dのシステムを参考にした、Wizardryを始祖とするランダムエンカウント型のRPG
    • 後にWizardry型のゲームは「ダンジョン型RPG」と呼ばれる。
  • Ultimaを代表とするフィールド型RPG
  • Ultimaのシンボルエンカウントを参考にして作られた「アクションRPG」
  • Ultimaのフィールド、Wizardryのランダムエンカウント取り入れた「本格型RPG」

当時のRPGは主人公がゲームを通して成長するゲームを指して総称されていました。初期のRPGは経験値の概念がないものも多く、アイテムを集めることでキャラクターを強化し、可能なアクションを増やすようなものも多くありました(例:ドルアーガの塔)。

当時のファミコンは撃ったりジャンプしたりするアクションゲームやシューティングが人気で、複雑なシステムを持ち、それを理解しないと遊べないRPGは売れないと思われていました。

またRPGにはファミコンに向かない大きな要素がありました。
「難易度」です。

1986年前後にパソコンで発売された有名なRPGをあげてみます。

  • ザナドゥ(1985)/ザナドゥ・シナリオⅡ(1986)
  • ロマンシア(1986)
  • ハイドライドⅡ(1985)
  • 覇者の封印(1986)
  • ブラスティ(1986)

いずれも話題作ぞろい(良作かは個人差があります)ですが、同時に高難易度RPGばかりです。

当時の日本のRPGゲーマーは、これら高難易度のゲームを好むと思われており、実際難易度の高いゲームほどバリューが高いと見なされていたところがありました。

つまり、難易度競争になった背景は、単純にユーザーバリューの問題です。

今でこそRPG=ストーリー性という図式がありますが、パソコンRPG黎明期はストーリーを表現する技法も容量もなかった時代なので、ゲームの価値はシステムと難易度とビジュアルというシンプルな要素のみで競いあうしかなかったのです。システムとビジュアルには技術的な障壁もあるので(数年前にはオールBASICのRPGなどが普通に売られていた)、なおさら難易度で競い合うような状況でした。

結果、RPGはン千円という安くもないお金を払ってノーヒントな謎を前に途方にくれたり、「ハマリ」という現象(必要なアイテムがなかったり、フラグを回収せずに進んでゲームが進まなくなる)に陥ったり、理不尽な目に合わされるというドMなゲームと化していました。

もっともドMだろうと理不尽だろうと、その難易度に解法がある限りクリアはできると豪語したのが「私に解けないゲームはない」のキャッチフレーズでお馴染みの山下章先生でした。
しかし、その山下先生もRPGの難易度競争の中にあって、どんなメジャーゲームであっても、難しすぎる謎やゲームの爽快感を殺しユーザーに負担をかけるだけのシステムなどにはキッチリ苦言を呈する姿勢も持ち合わせていました。それくらい、当時のパソコンRPGの難しさは異常だったと言う事です。

ドラクエ前史でよく語られる「RPGなんてファミコンでは売れない」というのは、RPGというシステムそのものの否定ではなく、当時の常識としてRPGは理不尽なくらい難しくなくてはならず、キッズ層が多いファミコンでは売れないという風潮あってのことです。しかし堀井雄二氏は、コマンド式AVGのポートピア殺人事件が成功したことで、RPGというシステムそのものは受け入れられると手応えを感じたのでしょう。

ポートピア連続殺人事件の成功を受けて、ファミコンでもAVGブームが起きました。AVGはそれこそパソコンの十八番だったのですが、こちらもRPG同様に理不尽な謎がてんこ盛りな上、コマンド入力式という、その名の通り行動をキーボードで入力して進めるというゲームオペレーションでした。

ファミコン参入前のスクウェアがリリースした、主人公がエロいことで有名な「α」という作品で説明すると…

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この[COMMAND]に続くカーソルに、ミル(見る)、トル カード(カードを取る)などのコマンド(動詞)と対象(名詞など)を入れることでゲームを進めていきます。つまり、コマンドが思いつかないかぎり解けないわけです。

それをポートピア連続殺人事件は、コマンド式という動作を選ぶことで進めるところまでオペレーションを軟化させたのです。いろいろなシーンをかけずり回ったり、クリアの順序を守らないとクリアができないのは一緒ですが、少なくとも行える行動が最初から一覧になっているだけでも大幅に難易度が下がりました。

結果、UIと難易度さえ下げれば、キッズもRPGを遊んでくれるのだろうとの結論となったのでしょう。

そして実際、パソコンRPGのダメなところをリストラしたことにより、ドラクエはファミコンで大ヒットしました。

 

■ドラクエがなければ今のRPG文化もなかった(はず)

ドラクエがもたらしたゲームの革命というものは、難しいRPGを誰でも遊べるようにしたという分かりやすい効果以上のものがありました。

まず、面倒くさいコマンド入力式のゲームは滅亡に追いやられました。最後まで生き残っていたのはWizardryだけではないでしょうか(Wizardryのパソコン版は、魔法をタイピングする必要があった)。

次にユーザーに与える情報の量と質が変わりました。当時のパソコンRPGは次の目的地も示されず、アイテムを拾っても途方にくれるしかないというものが多かったのです。これは単純にハードや容量の問題でもあったので一概に難易度競争の結果とは言えないですし、創造力を要するという事で評価される部分もあったのですが、一般ユーザー向けと考えるとやはり不親切な部分でした。
そこがドラクエの登場によりストーリーという形で次の目的が示される方法が定着しました。なくて当然だったヒントが、あってしかるべきものに変わっていったというわけです。

三つ目にビジュアル性の重要さが明確となりました。
当時のパソコンゲームはファミコンよりも解像度が高かったため、(ファミコンに比べれば)高解像のグラフィックが表示でき、キレイなことはキレイでした。RPGで表示される敵のグラフィックはリアルなほど良く、コミカルなキャラはもっぱらキャラサイズの小さなアクションRPG用とされていました。
しかしファミコンは、パソコンのような高解像のグラフィックが表示できないことを逆手に取り、鳥山明が描くイラストそのままなモンスターがデカデカと表示されるという、今までのRPGの常識を覆す方法でユーザーの興味をつかみました。

こう俯瞰してみると、ドラクエは「なぜファミコンでRPGは売れないのか」という理由を、当時販売されていたパソコン用RPGと付き合わせ、同時にあえてRPGが評価されているポイントをひっくり返したような作りになっていると分かります。
面倒くさいコマンド式、もしくはキーボードショートカットはコマンド選択式にまとめ、行き先が分からないのは当たり前という不親切な構造を改め、低解像度なのを逆手にとってコミカルなモンスターにしてビジュアルそのものもウリにしました。

もちろんパソコンのRPGゲーマーは「こんなのRPGじゃねぇ!」といきり立ちましたが、もとよりドラクエのメインターゲットは「これまでRPGを遊んだことのないキッズ」なので、RPGマニアに何を言われようがキッズに受け入れてもらえればそれでよかったのです。
そして「RPGとはかくあるもの」と知らないキッズたちは、ドラクエを原体験としてRPG人生のスタートを切っていきました。そして彼らがRPG市場のメインターゲットとなり、結果としてドラクエが日本におけるRPGのディファクトスタンダードになっていきました。
ドラクエが作り出した大波はバブル景気によって倍増し、やがてパソコン市場にまで押し寄せてくることとなります。これまではパソコンゲーム市場という区切られた世界の中で、お互いに難易度競争を続けてきたゲームメーカーでしたが、思いも寄らぬところからドラクエという市場を完全に塗り替えるほどの存在が出現し、これまでの常識や方法論を見直さざるを得なくなってしまいました。例えるなら、金と南宋が争っているところに現れて両国を平らげたモンゴル(元)と言ったところでしょうか。

もっとも、それでパソコンメーカーが征服されてしまったのかと言えばそうではなく、ドラクエのムーブメントに乗って親切設計や誰でも遊べることを前面に押し出したゲームを開発するようになりました。

その結実がイースです。

ロマンシアという、難しすぎて主人公のファン=フレディ王子が人間不信になったことネタにした広告を雑誌に掲載しまくっていたファルコムが「今、RPGは優しさの時代へ」と銘打ってゲームを売り出したことは、パソコンRPG史におけるターニングポイントと言えるでしょう。

もちろんこれらの簡易化は、果てしない難易度上昇に辟易しだしていたRPGゲーマーも増えつつあったため、開発者でも「このままではいけない」と考えていたとは思います。ドラクエが出なかったとしても、いずれどこかのメーカーが同じような「ユーザーフレンドリー革命」を起こしていたと思います。

しかし、それでもドラクエほどドラスティックな革命にはならなかったと思います。パソコン…というか当時のゲーム開発のバックボーンには難しいほど良いゲームと考える人達は山ほどいたわけで、誰かが「もっと簡単に遊べるようにしたい」と思っても、それがスタンダードになるまでには長い時間が必要だったはずです。

つまり、ドラクエの革命が成功した理由は、堀井雄二、鳥山明、すぎやまこういちというビッグネームに加え、キッズに強大な影響力を持つジャンプの集英社というバックボーンがあったからこそだと言えるでしょう。

 

■多様化するRPG~優しさからガチャゲーへ~

しかし、RPGが家庭用ゲーム機でも大量に売り出されはじめ、ドラクエ路線も乱造されてユーザーが飽き始めると、かつてのパソコンRPGのように理不尽な謎解きや、いつまでたっても終わらない巨大なラストダンジョン、わからん死が連発する「死んで覚える」ゲームが増えていきました。

それはかつてパソコンRPGの辿った道であり、かつてパソコンRPGが君臨したその地に家庭用ゲーム機のRPGが入り込んだのは、まるで生存と進化の末にニッチに入り込んだ生き物のようです。結果としてパ家庭用ゲーム機のRPGも、パソコンRPG同様に衰退をはじめていくことになります。しかし、ドラクエによって生み出されたクリエイターは、RPGの様々な可能性を提示し、同じくドラクエによって生み出された幅広く分厚いユーザー層はその進化を受け入れていきました。

結果として、誰でも遊べるお手軽RPGから心折仕様がウリのもの、果てはリアルマネーでパーティメンバーを買うソーシャルRPGまで、RPGは様々な多様性を持って現在も繁栄を続けています。

それもこれも、ドラクエが生まれなかったら成り立たなかったのだろうと思うと、その存在の大きさに畏れさえ感じてしまいます。全てがドラクエから生まれたものではなかったにせよ、ドラクエが生み出した市場がなければここまで発展できなかっただろうし、RPGはウォーゲーム同様にマニアのものだけに終わっていたことかもしれません。

クリエイティブを揺籃するのは市場です。市場がなければ文化は育ちません。その市場という土壌を作り上げたことこそ、ドラクエがゲーム史(RPG史)に残した最大の功績だといえます。ドラクエでRPGを知ったキッズたちは、後にパソコンRPGやTRPGにも流れ込み、RPGのビジネスチャンスを大きく広げました。そこからファンタジーが注目され、ラノベが生まれていったことを考えれば、ドラクエの作ったものの大きさがあまりにも巨大であると感じずにはいられません。今流行のソーシャルゲームだって、その影響を免れることはできないわけですから。

7月から8月にかけては、夏休みということもあって注目のRPGも多数発売予定されています。それらのゲームについてはまた別項にて書かせていただきます。

今はただ、「ドラクエってすごい」って気持ちで一杯ですので…

(文/団長)


団長

「てらどらいぶ」管理人。 ゲーム開発のディレクター、動画配信サイト管理人のプロデューサーなどを歴任。 心のゲームは「ウィザードリィ」と「ザナドゥ」。ドラクエとFFならドラクエ派。

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