激動の昭和史 沖縄決戦


okinawa

前回の記事で反戦ドラマが見られない理由を「面白くないから」と断じました。

では、面白い戦争映画って? ということで、ここ数日戦争映画をもろもろ見ました。8月はテレビでもたくさん戦争映画やドキュメンタリーが放送されますし、レンタルや動画配信サイトでも戦争映画がプッシュされます。敗戦という歴史の節目をして日本人の商魂たくましさを思わせるわけですが、おかげで戦史好き、戦争映画好きには嬉しい期間になります。

そんなわけで私も諸々の戦争映画、映像作品を見たので、面白かったもの、興味深かった作品を数回にわけて紹介したいと思います。

さて、第一にオススメしたいのは、岡本喜八監督の「激動の昭和史 沖縄決戦」です。

岡本喜八監督と言えばシン・ゴジラでゴジラを生み出した生物学者「牧悟郎」役で写真出演しています。シン・ゴジラの編集手法は岡本喜八作品のメソッドを多く受けていると言われています。実際、めまぐるしく変わるシーン、あまりにも膨大な情報量をその理解を助ける字幕等、そしてドキュメンタリータッチの映像と、似ているところはたくさんあります。が、あくまでも別作品なのでここでは比較はしません。

「沖縄決戦」は、サイパン玉砕から沖縄戦集結までの約8ヶ月を2時間半に押し込んだものです。特定の主人公を作らない群像劇で、ある場面では軍、ある場面では野戦病院、ある場面では住人と、シーン毎に描写の軸となる人物が入れ替わります。沖縄戦の全体を細切れにし、タイムラインに貼り付けているとでも例えればいいでしょうか。
そのため戦争映画にありがちな主張やイデオロギーは色を薄め、ただひたすら恐ろしく説得力のある映像がつなぎ合わされ、それらがモザイクのごとく多面的に沖縄戦を浮かび上がらせていきます。ただし、視点は一貫して日本側のみ。アメリカの視点は記録映像の中にのみ存在しています。しかし、ただシーンがつながれているだけではなく、それぞれのシーンが原因と過程で連結し、そして結果(敗戦)へと収斂されていきます。場面毎の情報量が多いので一回見ただけだと簡単な因果しか分からないのですが、繰り返し見ると様々な仕掛けに気づくことができます。
例えば冒頭の対馬丸の撃沈シーン。沖縄戦だけフォーカスするならこのシーンは不要ですし、わざわざ取り上げるにしてはシーンが短すぎます。実際には1分弱のシーンで、子供達が兵士の言いつけに「はーい」と答えるシーンの直後、ナレーションと共に潜水艦からの雷撃の映像となります。雷撃時の対馬丸内のシーンなどはありません。
これによって県庁も疎開せずという判断をする(せざるをえない)という状況が理解できます。しかも県庁側もまだ本土の軍が来たことにより楽観的になり、危険をおかして県外に逃げることはないという意見でまとまります。

凡百の映画なら敗戦という後知恵から、ここで悲壮感を出したり、楽観視を懸念する訳知り顔がしゃしゃり出てくるところですが、10万もの皇軍が負けるはずがないと思っていた当時の空気を考えれば、このような楽観さのほうがリアルであると言えます。しかし、対馬丸撃沈のシーンは同時に、後々「なぜ沖縄県民が疎開しなかったのか」という失敗の答えにもなっています。

戦闘がはじまるまでは沖縄民謡をモチーフとしたBGMが流れ、全体的にユーモアあるお気楽な映像が続くのですが、米軍の動きが読み切れない大本営による右往左往ぶり、それに振り回される沖縄司令部と現場、空襲によりあっさり焼け野原になる那覇市と状況は分かりやすく悪転していきます。

軍民一体となってアメリカとの戦いに突入した沖縄。物量で寄せるアメリカに対し、地形を利用した巧みな防衛線をひいて守る日本軍。凄まじい攻防が繰り広げられますが、彼我の兵力差1:5。物量も豊かで攻めるだけの米軍に対し、多くの非戦闘民を守りながら戦う日本軍はあまりにも分が悪すぎます。そのような極限状況から思惑が狂いはじめ、予想や判断の間違えが続き、日本軍は一つまた一つと拠点を失っていきます。

戦況の変化は血気盛んでいかにも帝国軍人という体の長参謀長(丹波哲郎)、そして渡米経験もある冷静な切れ者である八原参謀(仲代達矢)という二人の意見の食い違い、対立、共闘を軸に描かれていきます。そんな中、泰然としている牛島中将(小林桂樹)は、特攻隊に涙を流し、沖縄県民のおかれた窮状を理解するなど、苦しい立場に置かれている軍とその良心を体現しているかのように見えます。

しかしいくら良心があろうと戦況は好転しません。米軍の上陸兵力が増大するにつれ、日本軍の被害も広がっていきます。なお、この作品に限っては死闘というのは比喩ではありません。本当に死にまくります。傷つきます。吹き飛びます。焼かれます。

放映時間が半分に達した時には既に日本兵は血みどろ。ひたすら傷つき、ひたすら死んでいきます。野戦病院には手足を失った傷痍軍人であふれ、壊死した足をノコギリで切断するような描写も平然と描かれています。死に性別も年齢も階級も関係ありません。敵対する米兵も突かれ吹き飛ばされ殺されていきます。

救いがないくらい残酷な戦闘シーンの連続。後半に入るころにはあまりの死者の多さに、死に対して鈍感になっていきます。
地獄と化す沖縄。敗戦が決定的となり、牛島中将、長参謀長が自決する頃には、沖縄の人々も死に救いを求めるようになります。無残な死だけが積み重なる中で軍は崩壊、司令官の自決を持って陸海両軍は解散となります。しかし、それでも沖縄の人達は故郷を守るために戦い続けますが、結果的に被害は増大、史実の通り、悲惨な結末を迎えることになります。

 

最初にも述べましたが、この映画には思想的な色がありません。各人の立場からただただ沖縄戦を描写していくというものです。
テレビの反戦ドラマではとかく日本軍がポンコツで性悪に描かれ、頭の悪い将官がわめきちらして鉄拳制裁するシーンが出てきます。が、沖縄決戦にそんなシーンはありません。日本軍は死力を尽くして沖縄と沖縄県民を守ろうとした、しかし状況がそれを許さなかったという視点が与えられています。軍もただ沖縄の人々を見捨てたわけではないと分かります。海軍は沖縄を救うべく特攻を敢行、航空機ばかりではなく、大和を始めとする残存艦隊を沖縄に向かわせました。陸軍もまた各地で死力を尽くし、米軍に多量の出血を強い、最高指揮官のバックナー中将を討ち取るという戦果をあげています。

しかし、戦術的な勝利だけではもはや覆せない状況です。映画には各隊の奮戦も描かれますが、どれも最後は無残な死となって終わります。

そう、全ては状況なのです。

与えられた状況、限られた状況の中でどうするのか。誰も正解が分からない中で、必死に答えを探すためにもがきます。その判断は間違いであったかもしれないが、その答えを導き出す過程に妥協はありません。生死が関わっているのだから妥協などあるはずがありません。しかし誰もが正しい判断を下せるわけではない。フィクションの世界なら全てが正解に繋がるでしょうが、これは史実です。奮戦や英雄的活躍、怜悧な分析、そして心優しさや死力を尽くしても覆せない敗北。

「誰にも詫びません。その必要はありません。我々は万全を尽くしております」

後知恵で見れば、どれもが間違いであり、日本軍はただひたすら破滅に向かって突き進んでいるように見えます。その状況を戦争がない時代の私達は、砲弾の届かない神の視座にて眺めることができます。そこで訳知り顔で敗者を罵り、さも自分が天才であるかのように「自分ならこうする」と諳んじるわけです。しかし、仮に自分がこの場にいたら。八原参謀のように冷静でいられるか、長参謀長のように体面を重んじて攻撃にはやってしまうか、そして牛島中将のように周囲を落ち着かせるために泰然としていられるか。島田知事のように村民のために戦場を駆け回れるのか、賀谷中佐のように敵の砲撃にニヤけられるのか、誰もわかりません。

後知恵で歴史を語ることは簡単ですが、その緊迫した状況で人はどう判断するのか。そして自分は正しい判断ができるのか。シーンはめまぐるしく移り変わり、こんな思考に余裕さえ与えません。逃げ出したいほど悲惨な場面が続きます。しかし、沖縄の人達は逃げられません。司令部はもとより、軍人も民間人もです。

「なにが良いか、どうしたら良いか、私にはわからんのです」

絶望に追い詰められた時、自分ならどうするのか。そう考えながら見るとまた作品の深みを知る事ができるのではないでしょうか。

 

印象深い映像と鮮烈なセリフ、記憶に残る数々のシーン、そして圧倒的な血と死。残酷な現実を突きつけてもなおこの映画を繰り返し見てしまう魅力は、胸焼けするヒューマニズムや大上段から吹き下ろす説教臭さがないからともいえます。

内容が強烈なので万人にはおすすめできませんが、戦史に興味がある方はぜひ一度ご覧下さい。シン・ゴジラを見た後だとなおさら面白いかもしれませんよ。

(文/赤蟹)


赤蟹

スベスベマンジュウガニ並みに猛毒を吐きまくる赤い蟹の人。「てらどらいぶ」の裏ボス。サイト管理とコーディング、デザインなどを担当。文章を短くできないのが悩み。

コメントをどうぞ

内容に問題なければ、下記の「コメントを送信する」ボタンを押してください。