【ポンこれ】パワハラと虐待と自己批判と、「自責意識」によるマインドコントロール


ここ数日「自然派ママ」なる言葉がSNSを駆け巡っています。
すごく乱暴にまとめると「従来の育児方法にとらわれない(超)ナチュラル志向のママ(かなり好意的な語彙を選んでます)」ということなのですが、その方法が医学的、衛生学的に非常な危険なものが含まれているのでSNS界隈がざわついているわけです。

現在一般的に用いられている育児方法は日本人が累代蓄積した経験則と、その経験でカバーできない医学的見地から成り立っています。逆を言えば「子育てしたことがない人でも子育てできる」方法がまとめられ、それに対して医療や行政がバックアップしてくれるという仕組みになっています。

しかし、自分の子供が特別な存在なのはどの親も(多分)一緒。自分だけのオンリーワンな子供を作りたいというカスタム魂が燃えた結果、子供にとって恐ろしく不幸な環境ができあがってしまっているということも多々あります。もちろん常識的にも知見的にもアウトなのでネット内で多くの指摘を受けるわけですが、回線の向こうの人達が勝手にいきり立っても心に響くわけがありません。本当ならご近所さんや親御さんが注意してあげるべきなのですが、育児が聖域化してしまった弊害というのか、このような暴走に歯止めをかける手段がないのは非常に残念ではあります。

そんな超越育児法の中でちょっと気になったツイートがあったのでご紹介します。

そのツイート主は「「子供に自分の何が悪かったのか考えさせる」とことで、「叱らないしつけ」ができると言っています。
それだけならいいのですが方法が過激です。

  • 子供のネガティブな感情(短所や失敗など)をノートに書かせる。
  • それを鏡の前で自分で発表させる。親はその音読を監督する。

つまり親が怒る代わりに「自分で自分を責めさせる」というやり方をとっているのです。

これ、共産主義者が統制に用いた「自己批判」というやり方にそっくりなんですね。

自己批判は自分自身の欠点を聴衆の前で発表し、自分の罪の重さを告白させます。自分で自分の欠点を語るというのも苦しい話ですが、羞恥心と共に「こんなにつらい思いをするのは自分が悪かったからだ」という意識が芽生え、自責の念が重くなります。

「自責」という感情は人間の行動を大きく縛ります。たとえばDVから逃げられない女性の大半は、「お前が悪い」と責め立てて殴る彼氏に対し「自分が悪いから殴られるんだ」とその環境に甘んじるようになります。殴る彼氏を悪いと思わなくなってしまうんですね。

共産主義国家はこの自己批判を武器に民衆や組織を統制し、共産主義という唯一絶対の教理と愚昧な民衆を導く指導者への忠誠を作り上げたのです。また日本の過激派と呼ばれる新左翼がおこなう「内ゲバ」も、これら「自己批判」から生まれています。リンチを受ける側も自己批判し自責しているので、暴力を振るわれるままとなり、結果的に死に至るほど凄惨なものまで生まれてしまいました。

このような手口を使うのは、なにも過激派ばかりではありません。例えばさほどの怪我でなくても大騒ぎして重傷を負ったような言い方をしたり、大した事故でなくても大事故のように言って責めるのは、同様に相手の善意を利用して自責させる(ことで自分に利益を向ける)ためです。これらの手口は反社会的な方々や詐欺犯も使います。「北九州一家連続殺人事件」でも、家を乗っ取られるきっかけとなったのは家族の些細な罪の意識からでした。犯人はその自責の念を徹底的に利用して被害者一家を家族同士で殺させるように仕向けたのです。

 

この手口を使うのは過激派や犯罪者だけではありません。ブラック企業が社員を統制するときにもよく見られる手法です。

些細なことで叱咤し自責を強めることで思考を停止させ、言いなりにさせるという手法です。思考は停止していますが、業務がこなせないと精神的にきついペナルティが課せられたりと逃げ場のない中、「叱られるのは自分が仕事できないせいだ」というメンタリティに追い込まれていくわけです。そのため給料が下げられても屈辱的な目にあわされても、唯々諾々として受け入れる人間のカタチをした何かになってしまいます。

そのような状況に追い込まれた社員に、もちろん質の良い仕事なんてできるわけがありません。些細な事で叱られるのでなおさら仕事が慎重になり、結果的に時間当たりの生産性も大きく下がっていきます。結果、「仕事ができない」という評価が貼られ続け、社内における立場がどんどん弱くなっていきます。

こうして社内カーストの最下層に置かれた「ポンコツ」社員は、最終的に「叱られ役」や「雑務を押しつけられる係」にされて会社を辞めていきます。最後の最後まで社員を使い潰そうという会社や上司の思惑はどう考えても狂っているのですが、客観的にその状況がおかしいと言える人が社内におらず、またこんな環境で生き残ってきた生粋のパワハラエリートだけが残っている状態となっているので、会社を辞める人が多発しても「あいつは使えないから」とか「替わりはいくらでもいる」という感覚になり、それがおかしい状況だと感じないのです(この手の会社に残る人間の特徴として「すさまじい有能感」があることも言い添えておきます)。

 

今日、あるリンチ事件の加害者側の責任者が、自身のコミュニティが起こしたリンチ事件に対し見解を述べていました。事件については当時者ではないのでなんとも言いようがありませんが、凄惨な事件に対して「和解を提案したが受け入れられなかった」「加害者側は十分に社会的制裁を受けている」という申し開きと、正義を振りかざして加害者を必要以上に痛めつけるネットユーザーに対する強い批判が記載されていました。

正義を振りかざして誰かを叩くマウンティングは、今回の記事で書いた自責の念を利用したコントロール方法の一種です。なぜ様々な罰則が有限であるのか。それは法をもってしても無限に責任を問うことはできないという法治国家としての日本のあり方が定義づけているためです。

ネット上での批判も、言論によるリンチと言えます。「お前が悪いんだろう」と無制限に誹謗中傷を行うのは許される行為ではありませんし、そんな権利は日本国民の誰も持っていません。

しかしながら、この言葉を向けるべきは、凄惨なリンチ事件を起こす前の仲間に対してだったのではないかとも思うのです。そうすれば件の事件も起きなかったでしょうし、それ以前の様々な問題も起きなかったはずです。

日本人は身内に対する甘さを嫌います。その方もネットリンチに遭う同胞の気の毒な状況を見て、やむにやまれず書いたものと思いますが、まずは身内を叱責した上でのコメント、所属するコミュニティが起こした問題に対する反省、問題を起こした人物たちに対する組織内の処分が先であり、それらをすっとばして身内をかばい立てするのはあまりにも悪手です。

少なくとも、被害者男性はそれほどの目に遭いながらも事件を黙秘し、自分をリンチした人達をかばってきたわけです。そこからどうして決裂して告訴に至ったのかはわかりませんが、おそらく「かばってきた」ことに対してバカバカしさを感じた、つまりマインドコントロールが解けたのでしょう。

このようなマインドコントロールは、実は完璧ではありません。「北九州一家殺人事件」も逃げ出した被害者の告発で明るみになりましたし、国民を抑圧した共産主義国も多くが地上から消え去りました。そしてPCデポの事件でも分かる通り、SNSで簡単に個人発信できる今の時代、おかしな社内体制やルールは何かのきっかけで世間に噴出し、思わぬ損害を受ける事が珍しいことではなくなりました。

しかし、暴力・暴行事件を起こす人間は加害者意識が低いため、このような時代になっても前時代的な問題を起こし続けます。マインドコントロールを受ける人と違って、あまりにも自責意識が低いようにすら見えます。

尼崎事件を題材とした「家族喰い」という本の巻頭には、「北九州一家殺人事件」の犯人を取材した時の様子が描かれています。あれだけの大事件を起こしながら、犯人は罪の意識など全くなく、「自分は被害者家族に騙されていた」「あの人達は悪い人たちだ」と言っていたそうです。

このような事例をひっくるめて考えると、結局は「人間を人間としてみない」という、人間として一番ダメな感性の持ち主がこの手の事件を起こすのだなと感じます。実際、虐待する親も大抵は子供は絶対的な支配下においた「モノ」として見ていると言いますし。

快適な人生を送りたいなら、そのような人達とは距離をあける、関わらないという選択も必要だということです。まあ、関わりたくなくても関わってしまうこともしばしばではあるのですが…。就職先も働いてみるまでは分かりませんし、何より子供は親を選べませんしね。

なお本格的に虐待やパワハラを受けていた人は、このような記事を読んでもフラッシュバックを起こし、激しい動悸が起きたり息が苦しくなったりします。精神に傷を受けるということは、そういうことです。たった数年の出来事が、その後の何十年という人生にずっと大きな傷となって残るのです。

例の自然派ママのアカウントは釣り目的のネタアカウントという見解も出ています。そうであってほしいと願わずにはいられません。

(文/赤蟹)


赤蟹

スベスベマンジュウガニ並みに猛毒を吐きまくる赤い蟹の人。「てらどらいぶ」の裏ボス。サイト管理とコーディング、デザインなどを担当。文章を短くできないのが悩み。

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