【ニュースの小ネタ】長谷川秀夫「おお社畜よ、残業100時間ごときで死んでしまうとは情けない。」発言と残業に対する世代間ギャップ


また「長谷川」がやってくれました。

「長谷川」と言っても「メールフォームがウィルスで削除された」と寝言を言ってる「豊」ではありません。

 

新たな「長谷川」がネットの表舞台に出現したのです。

その名も長谷川秀夫。

10/7、政府が厚生労働省による「過労死白書」の作成を閣議決定。これは14年に施行された過労死防止法に基づくもので、世界にも例がない過労死に対する報告書をまとめるという前代未聞の事態となりました。要するに現代日本の過労、過労死問題はそこまで大きくなってきているということです。

これに対し、武蔵野大学客員教授の長谷川秀夫氏がよその記事の上で相撲を取ることで有名なキュレーションメディア「NewsPicks」に記載したコメントが多くの人の怒りに触れて炎上。おりもおり、電通での新人女性社員が過労により自殺した事が話題になっていたこともあり、耳目を集め反感を買う事態となりました。

すでに投稿は削除されているので、ハフィストンポストの記事「長谷川秀夫教授「残業100時間超で自殺は情けない」 投稿が炎上、のち謝罪」から引用します。

月当たり残業時間が100時間を越えたくらいで過労死するのは情けない。会社の業務をこなすというより、自分が請け負った仕事をプロとして完遂するという強い意識があれば、残業時間など関係ない。自分で起業した人は、それこそ寝袋を会社に持ち込んで、仕事に打ち込んだ時期があるはず。更にプロ意識があれば、上司を説得してでも良い成果を出せるように人的資源を獲得すべく最大の努力をすべき。それでも駄目なら、その会社が組織として機能していないので、転職を考えるべき。また、転職できるプロであるべき長期的に自分への投資を続けるべき。

極めて個人的な見解を言えば、「3割は同意できるが7割はダメ」という感想です。太字のうち赤字は反対意見。下線部は、まあまあその通りかなと半分くらいはうなずける箇所です。

なぜ長谷川秀夫教授がこのような考えに至ったのか、まずは経歴を見て行きましょう。

 

現在所属している武蔵野大学の教員紹介には、より詳細に経歴が記載されています。

1. 1979/04~2002/03 株式会社東芝 工場原価課、事業本部経理部、本社財務部 (最終職名)財務部企画担当参事
2. 1989/01~1992/03 東芝アメリカ情報システム社(出向) 事業部財務部長
3. 2001/05~2002/03 東芝アメリカ医用システム社(出向) 取締役、上席副社長兼最高財務責任者
4. 2002/04~2005/10 株式会社コーエー(現、コーエーテクモホールディングス株式会社) 執行役員CFO
5. 2006/02~2007/09 株式会社ニトリ 取締役

他にもアイオワ大学でMBAを取得しているそうで、簡単に言ってしまえば数字で経営状況を観察し、適切に合理化し経営状況を改善するプロフェッショナルということです。実績を見てもコーエーやニトリの取締役を任命されるだけの実力はあるようです。

このような経歴のため、パワーエリート的、もしくはリバータリアンのような考えになるのは当然であり、「残業時間100時間程度でなんだ」と言ってしまうメンタリティが培われるバックグラウンドはあると思います。実際、ご自身も経営状況次第では100時間どころではない残業時間を経験し、職場に寝袋を持ち込んで働いた経験もあるのでしょう。

要するに、この手の「優秀」な方にありがちな考えなのですが「俺はできたんだからみんなもできるだろう」という価値観が強かったということです。

ところで、長谷川秀夫氏は1979年に早稲田大学を卒業し、卒業と同時に東芝に入社しています。なぜか生年が書かれたページがないため推測となりますが、現在60歳前後でしょう。世代で言うならポスト団塊~バブル世代に位置します。

1980年代の経済華やかな時期に青年時代を迎え、バブル期にはアメリカの子会社で事業部財務部長という数字を握る職位についています。80年代からバブル崩壊までは経済が活発だったので仕事は増える一方だったでしょう。うちの父親(現在艦これ提督)は団塊の世代で、長谷川秀夫氏よりも上の世代でしたが、確かに80年代~90年代初頭までが仕事が忙しすぎて毎晩22時代に帰宅することが多かった記憶があります。場合によっては会社に泊まり込むこともしばしば。休日はご近所のパパたちとソフトボールやったり、PC-8801でちょこちょこプログラミンして遊んでいましたが、それ以外はほとんど寝ていたような覚えがあります。

それだけ多忙な時代であり、長谷川秀夫氏が言うように残業100時間では済まず、会社の寝袋で寝ることもあったというのは、おそらく事実でしょう。

しかし、です。

この時代の「残業100時間」と現在の「残業100時間」には大きな隔たりがあります。それがここです。

自分が請け負った仕事をプロとして完遂するという強い意識があれば、残業時間など関係ない。自分で起業した人は、それこそ寝袋を会社に持ち込んで、仕事に打ち込んだ時期があるはず。

実際の文章にはないので私の想像による補則を追加します(実際の長谷川秀夫氏との考えとは異なるかもしれません。あらかじめご了承ください。

自分が請け負った仕事をプロとして完遂するという強い意識があれば、残業時間など関係ない。(そのプロ意識や残業時間に会社はきっと応えてくれる。)自分で起業した人は、それこそ寝袋を会社に持ち込んで、仕事に打ち込んだ時期があるはず。(それだけの見返りは十分得られるはずだ。残業代ももらえるし)

要するに、長谷川英夫氏がモーレツに働いた時代というのは、仕事量と結果に応じてしっかり会社が評価し、地位を引き上げてくれる時代だったということです。また好況のため自立できる業界は方々にあっただろうし、金融機関の融資も受けやすかっただろうから、現在と比較しても起業しやすくリスクも少なかったはずです。

そして当然ながら、残業についてはしっかり「残業代」が払われていました。

すなわち、同じ残業100時間でも、お金になる100時間と、見返りのない100時間とでは、100という数字は同じでも正の数と負の数くらいに別モノだということです。

なお、長谷川秀夫氏のコメントは過労死白書を策定するという記事につけられたコメントでしたが、その発表の中に残業100時間という具体的な数字はありません。つまりは電通の過労自殺を暗示する発言であり、ただでさえ不適切な発言にさらに悪意が潜んでいるように思われたのでしょう。

なお、厚生労働省が規定する過労死ラインは80時間です。電通みたいなパワーエリートの集まりはどうか分かりませんが、少なくとも他の会社はこのラインを守るために人事が様々な施策をほどこしています(建前上は)。

80時間というのは、日割りすれば月20日の稼働日があるとして1日あたり4時間ほど残業時間となります9時~18時の勤務時間とすれば、早出がない限りは毎日22時まで働いている計算となります。100時間ならば毎日23時過ぎまで帰れないということです。

「なんだ、そんなものか」と思う人もいると思いますが、それ、社畜思考ですからね。
しかし、残業100時間くらい普通にこなしている人もおそらく多いでしょう。いいか悪いかは別として。

自殺した新人社員のTweetを見ると、本当に月100時間程度で収まっているのかさえ疑問です。飲み会後深夜にグチグチと注意されたという内容を見ても、実態のない拘束時間があったのは明らかです。あくまで勤務実態があるとされる時間が100時間というだけで、飲み会に連れ出された挙げ句その後ダメ出し大会を開かれたりしているのだから「見えない残業時間」があるのは間違いありません。

なので、情報を精査すればそもそも「月100時間程度で情けない。」という言葉が出てくるはずがないのです。

しかし、私自身も「残業100時間程度で」と思わなくもないのです。
と同時に、それ以上に自殺に駆り立てるファクターがあるのではないか、と考えるのです。そういう意味で「残業100時間程度で」と言い放つ長谷川秀夫氏の見解はつくづく近視眼的であると言わざるを得ません。

労基署の発表が残業時間にフォーカスされているので仕方ないとは思いますが、それ以外の要素も多分に含まれているはずです。それらの要素を鑑みず、残業時間がどうこうと言ってしまう意識のズレこそ問題であって、そのような人物が経営の最前線にいたこと、そして今は教鞭をとっていることが、ただただ情けないのです。

 

■鬱になる過程と長谷川秀夫氏の問題提起のズレ

鬱というものは「心の風邪」「メンタルヘルス」と言われるように、精神のせいでかかる病気だと思われがちです。しかし、実際的にはフィジカルの要因も強いのです。また「ストレス」は精神を圧迫するものと考えられることが多いですが、実際には脳や循環器にも多大なダメージを与えることが分かっています。特に脳機能で言えば海馬が縮小し著しく記憶力が弱くなるという現象が起こります。そして睡眠が不足するとこれらストレスや身体的な疲労が回復せず、より状況が悪化するようになっていきます。
睡眠で十分回復できなくなると、お酒に逃げる人も多くなります。この頃には不眠症も患い、寝ないといけないのに眠れないという状態になっていることもしばしばです。なのでお酒を飲めばすぐに寝られると考えがちになります。つまらない日常を忘れるために飲みたいという気持ちにもなるでしょう。しかし、実際にはお酒は寝付きはよくなっても眠りの質を下げます。なので常飲しだすとなおさら眠りが浅くなり疲れがとれないような状態に陥ります。

このようなストレスや身体の疲労蓄積は、やがて脳内物質の変質という形で現れます。そしてある日めまいがで起き上がれなくなる、胃痛がひどくなる、何を食べても味が分からない、思考力と記憶力が下がる、電車に乗ると吐き気が止まらなくなる等、フィジカルの症状として顕在化し、結果として鬱であると診断されることになります。

これらの話を整理すると、このようになります。

  • 鬱は精神力や心の強さなどでは回避はできない
  • 鬱は実際はフィジカル面の問題で引き起こされることが多い
  • 睡眠不足は脳をはじめ身体に重大なダメージを与えるため鬱の直接的な原因となる
  • 長時間労働は鬱の直接的な原因にならないが、睡眠不足となるため結局は鬱の遠因となる
  • ストレスは脳に異常を与えるため、鬱の原因となる
  • ストレスに耐えるに値する精神的な満足や金銭的な見返りがあれば鬱の発症は抑えられる

ですので、長谷川秀夫氏が言うように「残業時間100時間程度」では鬱、もしくは過労自殺にはなりません。これはすなわち、もとより問題を考える視点自体がズレています。
なぜ彼女が自殺せざるを得なかったのか、残業100時間はあくまで一因に過ぎません。被害者の身体になにが起きたのか。正常な思考力を奪うような出来事が起きていなかったか。チーム内の人間関係はどうであったか。パワハラやセクハラが常態化していなかったか。という様々な原因を、これらを帰納的に思考していくことこそ肝要なのです。

かつて鬱は「精神」、すなわち心持ちであったり、精神力が弱いからなる病気とされていました。
科学的に鬱が脳内物質の異常によって引き起こされる病気、すなわち脳という臓器の病気であると証明されたにもかかわらず、鬱は精神力が弱いからなるものだと思われています。鬱は現代のような強ストレス環境であれば身体機能不全よりも発生しやすい重篤な病気であるにも関わらず、理解が進んでいないのは大変な問題だと思います。

なので「残業100時間程度で」という長谷川秀夫氏のような頓珍漢な発言をする人が後を絶たず、ミクロ的に言えばそのような考えの会社や上司が潜在しているということです。

お恥ずかしながら、私も鬱を発症するまではそのように思っていました。気合い入ってないとか、頑張れば乗り越えられるとか。しかし実際になってみると、気合いや気持ちの持ちようなんて全く関係なく、大いに反省するところとなりました。

なのでこの反省を元に、鬱に対する偏見や考え違いは糺していこうと決意しているのです。

 

■世代論にするなというポスト団塊世代の甘ったれた自尊心

さて、長谷川秀夫氏のような仕事ぶりをする会社員は、かつて「モーレツ社員」と呼ばれていました。彼らは24時間戦えることを期待され、それに応えるべく気力や体力をリゲインする栄養剤を飲んで仕事に励んでいました。

それから30年近くたった現在、同じような働き方をする会社員は「社畜」と呼ばれています。

モーレツ社員と社畜。どちらも人生を会社に捧げ、生きる時間のほとんどを仕事に費やしています。しかし、たった30年の隔たりでこれほど正反対の意味を持つ名称に変わってしまったのでしょうか。

答えは非常に簡単です。モーレツ社員は会社を牽引する原動力として期待され、かつそれに見合った昇進と昇給があったからです。また、当時はまだまだ終身雇用が約束されていた時代であり、働けば働くほどその後の地位向上に反映された時代だったのです。

事実、戦後もっとも時間外労働が行われていたのは80年代(後半)です。景気高揚により仕事量が増え、働けば働くほど稼げた時代だったので、以下のような認識が生まれるわけです。

自分が請け負った仕事をプロとして完遂するという強い意識があれば、残業時間など関係ない。

しかし、そんな「恵まれた」時代は、バブル崩壊と共に終わりました。

就職氷河期時代に突入すると、まず新人の数が圧倒的に下がります。同時のこの時代「大学は出たけれど」就職できずにフリーターに甘んじる人間も増加しました。
しかし90年代初頭は「フリーター」なる生き方は斬新で、自分らしく生きるための新しいライフスタイルだと認識さえされていました。モーレツ時代のような「社畜」にならず、好きな時に好きなだけ働く。このような若者の機運は「フロムA」などアルバイト情報誌を発刊する企業や、雇い止めしている現実を明らかにされたくない企業達に歓迎されました。

企業は新人を雇わない代わりに、雑用を押しつける人材としてフリーターを積極的に活用しました。自分らしく生きようとする若者達の希望は、大人達によってたくみに利用されていったのです。

しかし、時間給で働くフリーターたちは残業をさせることができません。結果、正社員がやるべき雑用は数少ない新人が請け負い、偉そうなジジィどもが帰った後でもなんのスキルにもならない帳票計算やExcel仕事を押しつけられつづけられました。さらに悲惨な事に、部署によっては新人がまったく入らないため、このような雑用を30歳前後になるまでやらされるハメになった人達も少なくありません。

このような新人達に、大人達は「どんな仕事でもいずれ力になる」「苦労は買ってでもしろ」と言うわけですが、仕事をすればするほど昇給し、苦労すればするほど昇格した人達が言うべき言葉ではありません。

2000年を超え、かつてのフリーターたちが30歳を過ぎるようになると、非正規問題が表面化してきました。そんな彼らを吸収したのは、この頃増加しはじめた「労働者派遣会社」です。
99年の小渕内閣によって改正された労働者派遣法により、これまでよりも派遣できる業種が増えたことにより、派遣会社は急速に成長。大勢のフリーターたちを取り込んで急成長。特にグッドウィルは派手にCMを打ちまくったことで著名的な存在となりました。

一方で正社員になれたものの、実りのない長時間労働を強いられるかつての新人達も30歳を過ぎようとしていましたが、依然として社内での立場は低く、バブル世代以前の人達にコキ使われつづけました。

ここにかつての意味とは違う、現在の「社畜」が爆誕することになります。

このような若者の待遇停滞の問題は深刻化し、すでに生涯所得で前の世代を超えることはできないという試算まで出されました。そんな情勢で「痛みを伴う改革」として小泉内閣、および人材派遣会社パソナの顧問である竹中平蔵が出した政策が2003年に施行された「労働者派遣法改正」です。

前述のように労働者派遣法は99年の小渕内閣の時に大幅緩和されたわけですが、さらに小泉内閣今までは(建前上)禁止されていた製造業が追加されました。これ、一業種だけ解放したように見えますが、製造業は労働集約型産業の雄であり、安い人員の需要が非常に高い業種です。大規模な工場ともなれば一社契約するだけでコンスタントに100人以上の人員を押し込めるわけで、派遣業者としても美味しい、つまりさっさと解放してほしい分野であったわけです。

小渕内閣がなぜ製造業を封印したのかといえばまさにここで、製造業を解放すると非正規労働者が急増してしまうという懸念があったためです。製造業の派遣社員は、町工場のような職人として育てられるわけではありません。ひたすら単純作業を担います。言うなれば工場のパーツとして使われる存在であり、このような仕事を続けていてもスキルアップなんてできるはずがありません。

言い換えれば、一度でもこれら労働集約の派遣社員になってしまうと、そこから抜け出すことができなくなるのです。

小泉政権による労働者派遣法改正以降、「夜中に集められた派遣社員がバスに押し込められてどこかに行った」とか「若い派遣社員が中年男女を罵倒する場面を見かけた」という気の毒な話が多く聞かれるようになりました。私も新宿西口の公園で友達とモンハンを遊んでいた時、そのような人達が一斉にバスに乗り込んでいく現場を目にしました。そこでは噂に聞くような暴言社員はいなかったのですが、なんか異様な光景でした。

一言でいうならドナドナでしょうか。

小泉内閣時は金融緩和とインターネット産業の発達により、一時的に景気が高揚しました。その一方で、このような派遣法改正などが行われており、「勝ってたヤツがますます儲けた」というだけの話で、結果的には氷河期世代よりちょっと上の世代以上が大儲けして終わったに過ぎなかったのです。

その景気も垂直落下式リーマンショック(by スーパー・ササダンゴ・マシン)からの民主党政権というコンボでボコボコにされてしまいます。

なお、バブル崩壊後の1991年から2001年まで残業時間が大幅に減った時期がありますが、これは上記のように正社員が減ったこと、残業ができない非正規労働者が増えたためです。非正規労働者が残業できない理由は法律で規定時間以上働かせる場合、もしくは深夜(22時)以降は時給を上乗せにしなければならないためです。余計な人件費を使いたくないので残業をさせなかっただけの話です。

一方で正社員は残業代という概念を失い、馬車馬のように働かされるわけですが、これは労働環境が緩和されたわけではなく、完全週休二日制が導入されたことにより、月の労働時間自体は減った(=残業時間も減った)というだけのことです。

とまぁ、長々と氷河期以降の若手労働者の環境を書いたわけですが、ここでもう一度長谷川秀夫氏の発言を振り返ってみましょう。

月当たり残業時間が100時間を越えたくらいで過労死するのは情けない。会社の業務をこなすというより、自分が請け負った仕事をプロとして完遂するという強い意識があれば、残業時間など関係ない。自分で起業した人は、それこそ寝袋を会社に持ち込んで、仕事に打ち込んだ時期があるはず。更にプロ意識があれば、上司を説得してでも良い成果を出せるように人的資源を獲得すべく最大の努力をすべき。それでも駄目なら、その会社が組織として機能していないので、転職を考えるべき。また、転職できるプロであるべき長期的に自分への投資を続けるべき。

まあ、一言で言えばどれも氷河期以降の人間にしてみれば夢物語なんですわ。

意識の高さを強要されてサービス残業が常態化し、人的資源の確保をしたくても人件費圧縮の傾向が強まった現状では人手不足は慢性化、転職できるプロになろうにも雑用ばかりやらされるのでスキルのあがりようがないということです。

これらの条件に当てはまる人ももちろんいるでしょう。しかし彼らはもとより新人女性社員をイビリたおして自殺させたような「元から勝ち組」の電通社員のような人間ばかりなわけです。女子力が少ないなどとセクハラ発言をおこなった「男性上司」が何歳かはわかりませんが、45歳以上であればモーレツ社員時代の人間なので、完全に産廃と言えるでしょう。

なお、このような話を50~60歳の人間と討論すると、だいたい以下のような反応が返ってきます。

  • 不況は我々のせいではない。我々より上の世代はもっと恵まれていた。
  • 世代論なんてナンセンス。我々は上の世代に文句を言ったことがない。
  • 若者が苦労して自分の席をつかむのは昔から当然のこと。
  • 我々は必死に働いて自分の立場を獲得した。時代のせいにする氷河期世代は甘ったれている。

何を言ってるのかさっぱりわかりません。

確かに不況は彼らのせいではないですが、その後正社員の雇い止めをし、便利にフリーターを使い、リカバリーを行った責任はあります。席を獲得したにせよ、ポストがたくさん空いていた時代の人間が何言ってるんだよとしか言いようがありません。氷河期世代は課長になれるのも三割ほどだと言われています。それ以前の人間は会社にいるだけで課長くらいにはなれたのだから、ハードルの高さがそもそも違います。必死に働いた、苦労したといっても、氷河期世代に比べれば難易度Easyだっただけです。

また、世代論はナンセンスと言いますが、これらの話は世代論にしかなりません。それは長谷川秀夫氏の発言を見ても分かりますが、仕事の見返りが全く違うからです。

まあ、彼らも「俺達が若い頃はそんなの当たり前だった」と言うでしょうが、残業代がもらえて終身雇用だったヤツが何言ってるんだって話なんですよ。

この認識の大きなズレは世代が違うからです。まして、不況は我々のせいではないとしても、少なくとも学生だったり、力の無い新人である若者よりは社会をどうにかする力を持っていたわけで、そのようなアクションを取らずにのうのうと年を重ねただけで、世代論はナンセンスなんて言われたって困るんです。

もう一度いいます。長谷川秀夫氏の発言の誤謬は世代論で説明ができる。

甘ったれているのは若者の方ではなく、ぬるい時代に生きてた彼らの方です。


本当はこんな話より、12/10に発売されるPS4版バトルガレッガの話がしたいんですよ。

しかし、この発言にカチンと来た時には9,000文字に及ぶ記事をズバーッと2時間で書き上げてしまっていました。

せっかく書いたので掲載することにしました。公開はしていません。

なお、もうひとりの長谷川「豊」からはまだお返事ありません。

(文/赤蟹)


赤蟹

スベスベマンジュウガニ並みに猛毒を吐きまくる赤い蟹の人。「てらどらいぶ」の裏ボス。サイト管理とコーディング、デザインなどを担当。文章を短くできないのが悩み。

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