【感想】放課後!ダンジョン高校 シオちゃんと宇佐見君の話

ここ二ヶ月間くらい、既刊の1巻~7巻を毎日ヘビーローテーションしていたマンガ「放課後!ダンジョン高校」が、先日発売された8巻で完結した。今回は愛してやまないこの作品について、いろいろと書いていこうと思う。

このマンガに出会ったのはもう3~4年前のこと。まだ二巻までしか発売されていなかった頃だ。
当時仕事でおつきあいしてた徳間書店映像事業部のYさんが、COMICリュウの「きのこいぬ」というマンガに携わっているという話を聞き、どんなマンガなのだろうと、本屋に立ち寄った時だった。


↑COMICリュウの巻末マンガに出てたYさん(笑)。

目的のきのこいぬの隣に、「放課後!ダンジョン高校」の単行本はあった。きのこいぬと同じくCOMICリュウで連載されているらしい。「放課後」と「ダンジョン」という言葉に、ラブコメ大好きでWizardry(1)以来ダンジョンにこもりっぱなしの私には見逃せないマンガだと思ったのだ。

ついでに表紙に描かれている女の子も、自分好みで可愛い。なんとなく幸薄そうなところがたまらない(蟹は幸薄そうな女の子が大好きです。パー子とか)。きっとステキな作品だろうと思い、きのこいぬ共々既刊全巻を購入。

結果、きのこいぬ以上に「放課後!ダンジョン高校」にハマってしまった。

どれくらいハマったかというと、単行本を持っているのにKindle版を買い直し(単行本はオススメマンガとして友人に譲渡)、以来Kindle Voyageの容量がいっぱいになろうと、決して削除せずに端末に入れ続けていたくらいだ。Kindle持っている人でないと分かりづらいたとえであるかもしれないが。

そんなお気に入りのマンガが完結したことは感無量であったが、同時にとうとう終わってしまったという、いわゆる「ロス」の状態に陥っている。

結果としては「放課後!ダンジョン高校」ヘビーローテーションの中に一冊加わっただけであり、今日も相変わらず読み続けているのだが、なんにせよ物語が終わってしまった、ということは、とても寂しいことである。

そんな寂寥感を埋める意味でも、8巻まで読んだ感想を書こうと思う(そういえば、Yさんにも「感想の記事書いてくださいよ」と言われていた気がした)。



※画像は放課後!ダンジョン高校のHPより

まず、「放課後!ダンジョン高校」は、タイトルに大きな偽りがある。

まず、舞台の時間軸は「放課後」ではない。私立弾正高校の生徒達は、高校の敷地内にある遺跡という潜って一攫千金を狙う冒険者であり、高校生と言いながらも年齢はまちまち。いろいろなバックグラウンドを抱えて舞台であるゲンゴロウ島に来ている。だから、授業中よりもダンジョン探索優先。放課後なにそれおいしいの?という具合である。

そんな内容なのに、なぜタイトルに「放課後」と入れたのか。おそらくてポップな印象を与えるためにつけたのだろう。私もその手に乗ってしまった一人だ。

しかし、中身はそんなふわっとしたものではなかった。

「放課後!ダンジョン高校」はトラディショナルなボーイ・ミーツ・ガールの話である。
主人公の宇佐見ヨウイチは同級生の阿螺井にそそのかされて弾正高校に入学してしまった情弱なおぼっちゃま。弾正高校がどんな高校かも知らず、ゲンゴロウ島がどんな島かも知らずにやってきた。そんなヤツいるのかよ、とツッコミを入れたくなることうけあいだ。

ヒロインである三笠シオ、つまり私が表紙で一目惚れした幸薄そうな女の子だが、想像に違わず気の毒な身の上の娘である。まず隻脚。左足は失われており、レトロな義足をつけている。彼女は宇佐見や阿螺井と同い年だが、魚を漁って暮らしている。漁具として銛を持つが、それは彼女の欠損した左足を支える杖でもあった。
しかし彼女は驚異的な身体能力を持ち、家族と自分の脚を奪った島の化け物たちに激しい復讐心を抱き、人知れず手にした銛で巨大生物たちを狩り続けていた。

この二人の出会いから物語は動いていく。シオは家族ばかりか家まで巨大生物に破壊され、住むとこまで失ってしまう。入学を辞退し島を出ていこうと考えた宇佐見だったが、そんなシオを見捨てられず、彼女ともども入学することになる。

二人(と阿螺井)は学校の寮で一緒に暮らすことになるが、やがて宇佐見はシオが気になりはじめる。シオは、自分に同情してくれた宇佐見の優しさに惹かれていく。…という、二人の想いが軸となって物語は進んでいく。

この作品の面白いところは、隻脚ながら優れた身体能力を誇り、戦闘となると外見とは裏腹に激情家となるシオが、作品が進むにつれ戦闘要員としての存在感がなくなっていくところだ。
この手のコンテンツでは、最初に出会ったバトルヒロインが最後まで超絶的な戦闘能力を誇り、始終メンバーを牽引する存在になりがちだ。しかし、本作は違う。

というのも、貧弱メガネの宇佐見が、物語最序盤でトンボの翅型の刃が出るチート武器(オーパーツ)をゲットし、次第にパーティ(古美術部というギルド)の主要火力となっていくためだ。
シオは自分の居場所を作ってくれた宇佐見の期待に応えようとするが、当然チート武器を持つ宇佐見よりも(実際の戦果はともあれ)見劣りしてしまう。入部した古美術部の先輩たちも強い。戦うことでしか自分の価値を作れなかったシオは、次第に自信を失ってしまう。

ここにシオの勘違いがある。
シオは、宇佐見が拾ってくれた理由を同情と戦闘力を持っているからだと考えている。
しかし宇佐見はシオの外見や内面など、女の子の部分に惹かれている。彼女自身の戦闘力は、彼にとっては好意を決定する上で考慮すべき要素ではない。
しかし宇佐見の役に立てないことは、戦闘力しか取り柄がない(と本人は思っている)シオにとっては一大事なのである。

シオの内向性は生まれてこの方、ほとんど島を出たことがない事に起因している。
島のことしか知らないし、家族を失ってからは自分が生活する分の魚を漁って暮らしている。
親が残した家はあるけど経済的な余裕はなく、閉鎖された社会の中で生きていくほかになかった。そんなシオを集落の人たちもなにかと気にかけているが、彼女自身は孤立感に囚われてしまい、人々から距離を置くようになってしまった。
相対的に自分を評価する手段を持たないシオは、宇佐見は「使える」自分を気に入ったんだと思い込んでしまったのだろう。その思い込みは作中の中でたびたび吐露され、恩義と好意がある宇佐見だけは、なにがあっても守り抜くと心に誓っている。

これは穿った見方かもしれないが、シオはダンジョンで戦うことで、宇佐見との心のつながりを保とうと考えていたのかもしれない。

一方の宇佐見は、阿螺井にそそのかされてゲンゴロウ島に来たこともあって、ダンジョンや発掘される宝物にはなんのこだわりもない。彼自身が裕福な家の出身のため、ものに執着しない性格なのだろう。
そのため、シオを連れて危険なゲンゴロウ島から立ち去ろうと考えるが、シオはダンジョンに挑戦する方を選択したため(彼女としては当然の選択だと言える)、結局宇佐見もシオと一緒にダンジョンに潜る事になる。

その後も宇佐見のダンジョン探索へのモチベーションは、常に外的な要因に左右される。学校行事だから、古美術部のイベントだからと状況に流される。だが、そのモチベーションの根っこにあるのは、やはりシオである。

シオは宇佐見の期待に応えたくてダンジョンに潜る。宇佐見もシオが気になるからダンジョンに入る。本当はシオを島外に連れ出し、一緒に平和な生活をしたいと考えているのだが、生来のお人好しのため周囲に引きずられるままに弾正高校の生徒としての生活が続いていく。

そして卒業したら一緒に島を出ようとシオに告白するが、シオに断られてしまう。相思相愛のはずなのになぜ? と読者は意外に思ってしまうのだが、その後、シオの自信のなさがそのような答えにつながってしまったと明らかになる。
島のことしか知らない自分が、本土でやっていけるのか。宇佐見よりも弱い自分が彼の役に立てるのか、という劣等感と宇佐見に迷惑をかけたくないという強い気持ちが彼女の気持ちをネガティブにさせてしまっていたのだ。
そしてシオも宇佐見に本土へ帰らないでほしいと願っているが、性格からそれを口に出してしまうと「宇佐見に迷惑をかける」と思って言い出すことができない。

お互い一緒にいたいと強く願いながら、相手への気づかいゆえにすれ違ってしまうのはもどかしい。しかし、本作は宇佐見とシオは徹頭徹尾お互いに好意を持っており、この手の話にありがちな三角関係もなければ、極端に喧嘩別れすることもない。

宇佐見とシオの関係は、このままずっと続いていくはずだ。そう思いつつも、どこか切なく思えてしまうのは、心象風景をうまく描いている山西先生の絵柄のおかげだろう。本作でファンになり、過去作の「ちょっと怪しい黒森さん家」と「ライコネンの熱帯魚」も買ったが、表情のつけかたが上手な人だと感じた。そして憂うような、寂しげなシーンを描くのが上手だなと勝手に思っている(実は山西先生は女性じゃないかと疑っていた時期があった)。

紙面(と言ってもKindleなのだが)からにじみ出る寂寞感が、最終回への不安を煽っているように思えた。
この流れで最後お別れだったらイヤだな…と思いつつ、恐る恐るページを繰っていたのだが、それも杞憂に終わった。

エンディングを見ながら「そういやLSメンバー同士でヴァナ婚したヤツがいたなぁ」などと思い本を閉じた。よかったよかった。ハッピーエンドだ。

…と、思っていた。その時までは。

 

私は単行本派なので、作品が完結するまであらゆる情報をカットする。公式HPは基本的に見ない。Amazonのレビューも読まない。目に入ったら記憶から消す。自分の目でおもしろいかどうかを判断するためだ。

で、完結したので公式HPを見にいったところ…


※画像は「放課後!ダンジョン高校」の公式HPより

…なんですか、「放課後!ダンジョン高校」今月の見どころ!って…

なんですが、新学期って…

終わってなかったんかい!!!!!

死んだはずの中島を見てしまった朝生田先輩の心境ですよ。
宇佐見君とシオちゃん、本土に行っちゃったじゃん。どうするんですか、これ。どうなるんですか。

…まあ、とりあえず「放課後!ダンジョン高校」ロスは避けられたようです。


この作品は多分にダンジョン系RPG(ディアブロを代表とするハックアンドスラッシュ、FF11のようなMMOなど)のテイストを取り入れている。宇佐見はいわば「強いパーティについて行ったら強い装備が出た」的なラッキーボーイでだ。そして彼が所属することになる古美術部(ギルド)のメンバーは高レベルの先行プレーヤーということになる。

ギルドといえばギルド戦。古美術部は副部長の中島が島外から仕入れた武具を販売することで利益をあげていたが、源五郎島を牛耳り、オーパーツ収集に熱をあげる山繭の会はそれが気に入らない。一方で宇佐見をこの島に連れてきた阿螺井に急いで入りたい気持ちが先行し、古美術部から山繭の会に所属を変え、中島暗殺に一枚噛むことになる(MMOプレイ経験があると「あるある」という話なのだが)。

そう、このマンガは普通に人が死ぬ。ダンジョンに潜る冒険者がただの人間であり、舞台が我々が暮らす現代であり、死者を蘇らせるような魔法もない世界なので、シオの銛のような通常武器か宇佐見が持つオーパーツ(後に勝手にドラゴンフライと命名される)の物理攻撃で退けるしかない。

ついでに中島暗殺のようにPK(パーティ・キリング)まである。どのみち洞窟の奥で死んでも戦死扱いにしてしまえばいい。ゲームと違って殺されたプレイヤーにSayやTellでPKしたことをバラしたり、キャラクターネームが赤字になったりもしない。つまりゲーム内のように、誰が悪いか判別がつかないのだ。現実世界こええ。

…という、ゲーマーにとっては琴線をビンビン弾かれることうけあいの本作なのだが、個人的には気になるところが一つ。

宇佐見君がダンジョンに入る理由が常に他人のためになってしまっているように、作品のプロットがやや揺らいでいるところがある。あの伏線はどうなったの?とか、前回の話と今回の話で人間関係が変わっていたり、と、若干の齟齬が見られる。
これは山西先生の前作にあたる「ライコネンの熱帯魚」でも見られたことなのだが。
8巻でキレイにまとまったのに、今後も話を続けていって大丈夫かな、という不安がある。いや、楽しみで仕方ないのだが、ゆえに不安なのである。

新学期ということで、登場キャラの入れ替えや、追加コンテンツならぬ新ダンジョンの追加など、これまでとは一風違った物語になっていくだろう。それはファンとして楽しみである一方、これまでテイストが変わりすぎるのではないかも思ってしまうのだ。

長期連載のマンガやライトノベルにありがちな話なのだが、今後も本作のいいところを伸ばして楽しい「放課後!ダンジョン高校」を続けていってもらえたら嬉しいです。

9巻楽しみにしています。

ちなみに山西先生が描く絵、私はホントに大好きです。

(文/赤蟹)


赤蟹

スベスベマンジュウガニ並みに猛毒を吐きまくる赤い蟹の人。「てらどらいぶ」の裏ボス。サイト管理とコーディング、デザインなどを担当。文章を短くできないのが悩み。

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