信長の野望・創造PKで那須家でがんばる その4

[スポンサードリンク]

信長の野望・大志の発表に合わせ、「信長の野望 意識調査」というアンケートが行われています。
その中に「父親にしたい戦国武将」の選択肢があるのですが、遺憾な事に下野の武将が一人も含まれてません。大変不服です。
仕方がないので大久保長安を選んでおきました。

引き続き、磐城攻略戦です。

前回の記事はこちら→信長の野望・創造PKで那須家でがんばる その3

常磐道ルートの目標であった小高城の攻略に失敗した原因は、飯野平城から小高城までの「距離」にありました。
飯野平城から小高城まではかなりの距離があります(現在のいわきから南相馬くらい)。そして腰兵糧は120日分しか持てません。
120日というリミットの中には移動する日数も含まれます。つまり、次の城までが遠ければ遠いほど、包囲にかけられる時間が削られるのです。
そして小高城は磐城の本城。耐久力も高いため、包囲戦にも時間がかかります。ただでさえ包囲にかけられる時間が限られているのに、波状攻撃を受けてタイムアップ、というのが作戦失敗の原因でした。

物理的な距離はどうしようもないため、まずは道を整備して、移動時間の短縮をはかります。

太平洋沿岸の道を整備するのは当然として、阿武隈山地を東西に抜ける道も拡張。中通りの各城から迅速に太平洋側へ兵を送れるようにします。

さらに磐城の大半を手中に収めたことで、蘆名家を従属させることに成功。

長尾家との同盟も延長し、ひきつづき対伊達戦に兵力を集中できる体制を維持します。

小高城攻略の準備を整える中、強敵(とも)が彼岸へと旅立ちました。隣国の大名として、そして伊達の武将として那須家と戦った佐竹義篤の姿は、最初はガミラスの総統として、次に白色彗星帝国の客将としてヤマトの前に立ちはだかったデスラーを思わせます。
相変わらず人手不足の中、有能な将を失ったのは痛いところ。今回も小高城総掛かりの大将を努めてもらおうと思っていただけに残念です。
残念がっても義篤がよみがえるわけでもないので、人員を配置しなおして北伐の準備を継続。

道路整備も無事完了。西から南から小高城を攻める準備が整いました。土木工事と平行し、伊達家中の武将に粉をかけるのも忘れません。何人かの武将に不戦や寝返りを約束させ、敵の兵力削減を企てます。

そして状況開始。常陸を出発した1万規模の兵が浜通りを北上。そうはさせまいと伊達軍も大軍を繰り出してきました。


相双地方で激突する両軍。双方で寝返りが起きるなど、戦国らしい混戦模様に。兵力はほぼ互角ですが、ユニット数は伊達の方が多そうに見えます。

あれ? ひょっとして? 小高城に来ている伊達軍って、もしかしたら磐城と陸前の伊達軍全兵力じゃない?

ということは、中通りの方は手薄なのでは??

すぐさま下野軍を北上させ、二本松の北に位置する杉目城を攻めます。予想通り、敵の抵抗は軽微。

途中、米沢からの援軍も殺到しましたが、マイルドヤンキーなオール栃木軍の敵ではありませんでした。さっと追い散らして杉目城の包囲戦を開始。

レモン牛乳なみにあっさり占領。

杉目城で補給を終えた下野軍が、逃げる敵を猛追。伊達軍を完膚なきまでにたたきのめします。

防衛戦力を失った小高城は陥落。これで磐城の本城も那須のものになりました。

残る相馬中村城と丸森城にも派兵。磐城平定も目前です。

小高城攻防戦で大きく消耗し、組織的な抵抗ができなくなった伊達を追い出すのは簡単でした。

こうして那須家は、下野、常陸、下総(の一部)、磐城を領有することに。岩代を治める蘆名家も那須家に従属しているので、栃木、茨城、福島を実効支配しているも同然です。

しかし領土が南北に広がったため、全てを直轄することが困難に。
そのため、各地方を統率する「軍団」、いわゆる方面軍を新設することにしました。

設立した軍団は二つ。宇都宮城を中心とした北下総と下野を統括する下野軍団、そして常陸を統括する常陸軍団です。そのままですね。
新軍団設立にあたり、本拠も旅立ちの地、烏山城から小高城に移しました。

下野軍の軍団長は、娘の中でも比較的ハイスペックな忍ちゃん、常陸軍は譜代の臣である大関高増に任せます。関東側は北条が抑えている以上攻め込まれることもないので、この二軍団は実質生産国。磐城のみを直轄地とし、蘆名と連携して伊達領の攻略を進めます。

…が。

軍団長に抜擢され、やる気がほとばしってしまった忍ちゃん。さっそく栃木のマイルドヤンキーを率いて陸前に遠征!

あっさり小泉城を落としてしまいました。マジかよ。

小泉城だけでは飽き足らず、他の城までも攻撃。下野軍が仙台平野を蹂躙する一方、消耗しきった伊達軍は抗う術を失い、ひたすら籠城するしかなくなっていました。

このまま陸前も手中におさめるかのように思われた、その時です。

みちのく最大の大名、南部家が、伊達、最上、大崎を束ねて反那須連合を結成。那須家にヤキを入れてきました。

いわば北関東連合vsオールみちのく。

でも、ひるむことはありません。東北での戦いは、南から来た方が勝つと歴史が証明しています。蝦夷討伐しかり、奥羽合戦しかり、戊辰戦争しかり。今回も奥州まるごと練り雲雀です。

…なんて調子こきましたが、さすがに四家の連合軍を相手にするのは少々分が悪かった模様。次から次へと南下してくる反那須連合軍(というか南部軍)に押し出され、取ったばかりの小泉城を明け渡すことに。

佐竹戦以来、攻勢一方だった那須軍が、久々に守勢にまわることとなりました。

そして反那須連合軍は優に1万を越える大軍。気まずいことに、磐城各城の兵力は、反那須連合軍に対抗できるほど兵力が回復していません。
城の防備を固める時間的余裕もありません。

さらに日本海側からも1万ほどの敵軍が来襲。さすが笑えない事態となりました。

磐城の直轄領だけでは守り切れないので、下野と常陸の各軍団に支援を要請、さらに従属させている蘆名家に援軍を頼みました。
阿武隈山地の北嶺に突出している丸森城は、耐久力が低く侵攻ルートも多いため、とても守りが難しい城です。包囲されたらあっさり落ちてしまいそうです。

丸森城の手前に軍を置き、野戦で反那須連合に対抗するしかありません。今あるだけの兵力を送り、丸森城の前に展開していきます。

しかし、またしても事件が。

那須家の勢力をここまで拡大した当主、那須政資が道半ばで逝ってしまいました。

こんな大変な時に死ぬなんてギャグですか!

次回「跡目相続」。こうご期待。

(文/赤蟹)


赤蟹

スベスベマンジュウガニ並みに猛毒を吐きまくる赤い蟹の人。「てらどらいぶ」の裏ボス。サイト管理とコーディング、デザインなどを担当。文章を短くできないのが悩み。

コメントを残す