信長の野望・創造PKで那須家でがんばる その5

【前回のあらすじ】

伊達との戦いを進める那須家は、ついに磐城を手中におさめた。しかし那須家の勢いに恐怖と反発を覚えた南部家が東北諸家を統率。オール東北軍と北関東連合の壮絶な戦いが始まった。そんな矢先に、那須家当主、那須政資が病死する。

前回の記事はこちら→信長の野望・創造PKで那須家でがんばる その4

 

下野の小勢力にすぎなかった那須家を、四ヶ国の大名に成長させた那須政資。覇道を唱えて11年。道半ばにしてこの世を去りました。

当主の座は長男で脳筋の高資が継承。高資の戦闘能力が高いのは、2500の兵力を擁して那須領に攻め入った宇都宮軍を、たった300の兵で迎撃。宇都宮の主要武将を討ち取ったほか、軍の混乱を鎮めるために前線に出てきた宇都宮尚綱をも射殺するという大戦果をあげたためです。この戦いは戦場となった地名をとって喜連川五月女坂の戦いと呼ばれています。

ゲームの中では一致団結しているように見える那須家以下下野の諸将ですが、実際には古河公方や関東管領の上杉家の後継争いに巻き込まれ、支持する後継者を巡って家臣団はおろか当主の肉親間でも争っています。ゲームの中では小勢力にすぎませんが、実際は宇都宮家も那須家も関東の中ではそこまで小さな勢力ではありません。よって古河公方や関東管領の後継者たちも自分たちの支持をめぐって彼らを勧誘するということを繰り返しました。
結果、当主の統制力は弱まり、独立心旺盛な家臣たちの分裂が抑えられない状況となっていました。家臣といっても実際には本家の傍流、すなわち一門衆であり、隙あらば当主を追い出して実権を握ろうと考えていたのです。そんな野心に燃える家臣団の中に、エスタブリッシュの後継者争いという大義名分が放り込まれたのだから、争いが終わるわけがありません。
言い換えれば、各家の当主どころか鎌倉公方、それに続く古河公方が関東管領や関東の武士団の統制に失敗したせいであり、さらに根源を求めれば幕府が鎌倉府を制御できなかったという理由があります。室町時代の後半を戦国時代と呼びますが、関東に関しては室町時代を通してずっと血を血で洗う戦争状態にあったのです。

実際、那須政資、高資親子も似たような理由で5年にわたって争っており、実際にはこんなにスムーズに後継者になれたわけではありませんし、家臣たちもゲームのように那須家に忠誠を誓っていたわけではありません。主家が権力あらそいをしているのだから、家臣の統制なんて無理なんですよね。会社の派閥争いと一緒です。

話が横道にそれました。本題に戻ります。

南部家を中心に反那須連合が結成。那須家は東北の諸勢力と戦うことになりました。

特に羽後陸中以北を領有し、後ろを気にする必要がない南部家が全兵力をもって那須領に侵入。防衛線が広いこともあり、あっさり磐城への侵入を許してしまいました。特に伊達との戦いで消耗し、回復する前に攻め込まれたので、防御が間に合いません。

少しでも敵兵力を削ぐため、東北連合各家に調略をかけます。まあ、実際には焼け石に水なのですが。

敵は陸前(南部家)と羽前(伊達家)から来襲。那須家は二つの防衛線に戦力分断され、苦戦を強いられています。この二つのどちらかをつぶせば、状況はかなりラクになります。

そこで、羽前を先につぶすことにしました。いつもの理屈ですが、杉目城から米沢城までのルートは、奥羽山脈を越える道一つしかないためです。
米沢は羽前の本城であるため耐久が高いです。それなりの兵力を送り込まないと落とせませんが、逆にその耐久力ゆえ、奪うことができれば西からの侵攻を阻む要塞となり磐城の兵力は陸前戦線の防衛ならびに反撃に集中させることができます。

磐城の兵力は南部の南下に備えないとならないので、下野、常陸の兵力を送り込んで米沢を攻撃。ついでに蘆名にも援軍を要請します。
高耐久の米沢城を落とすには時間がかかりますが、杉目城という補給基地があるため、兵糧切れを心配する必要はありません。

羽後から伊達、最上の連合が米沢城の救援を試みますが、兵力は那須家のほうが圧倒的に上。やがて援軍も送られてくることはなくなり、米沢城は落城。

羽前には米沢城一つしかないため、羽前も那須領に加わりました。これで本城の数は5つ。勢力が大きくなったため、戦略画面のBGMも郷愁あふれる曲から大河ドラマのOPみたいな勇ましいものへと変わりました。
全地図を見ると、いつの間にか上野が武田家のものになっていました。
武田が侵攻してくると戦線が三つとなってやっかいですが、上野から下野に入るには、北条領を通らない限り耐久7500を誇る唐沢山城という堅城を越えなければなりません。
念のため下野軍を下野の防衛にあたらせ、北方への攻撃は常陸軍に命じます。

越前戦線は相変わらず一進一退。丸森城を巡る攻防が続きます。米沢城を落としたおかげで側面攻撃の心配はなくなりましたが、羽後からの侵攻がなくなったわけではありません。米沢への救援をために余力を残す必要があります。一方で南部家は後ろも横も気にする必要がないので、ガンガン那須領に攻め込んできます。防戦一方、きつい戦いが続きます。

南部家にまざり、日本海側から奥羽山脈を越えてくる最上、伊達両軍もやっかい。米沢城を落としたから安心と思ってましたが、別ルートを通って仙台平野にやってきます。

きりがないので、西からの攻撃を止める羽後への侵攻を開始。まずは最上家の山形城に攻め込みます。

最上家も反那須連合に加わっていたせいか、兵力も尽きており抵抗らしい抵抗もなく山形城は落城。これで羽後の本城も那須のものに。

続いて天童城も攻略。

本城である山形城を落とした以上、天童城攻略など赤子の手をひねるも同然。

最上家滅亡。これで連合の一派をつぶせました。
しかし、陸前の北側にも奥羽山脈を越える道があります。細いので迅速な移動はできませんが、陸前戦線は膠着しているので、補給さえできれば高速で移動する必要はありません。やっかいです。

しかし、連合結成から三年が経過。反那須連合軍は解散。これにより東北諸家は再度分裂。那須家にはまたとない好機が訪れました。
自身で豊富なリソースを持つ南部はまだしも、同盟に頼っていた他の勢力にとって、南部の支援を受けられない状況はまさに地獄。ここまで耐え抜いたかいがありました。レビル将軍も言っています。自分たちが苦しいときは、相手も苦しいのだと。それに耐えてこそ勝機がやってくると。

磐城に強烈な圧力をかけていた南部軍が、伊達領と大崎領を通れなくなったからです。
羽前攻略のためさらに1軍団を新設。那須家のじいや、大田原資清に軍団を任せ、羽前攻略を進めます。

磐城防衛の必要がなくなったため全軍をもって陸前に侵攻。那須家の反撃が始まります。

まずは前哨戦で小泉城を降伏させ…

さらに陸前の本城である利府城と…

大崎家が領有する名生城にも攻撃を加えます。南部がいなくなった陸前はまさに無人の荒野。次々と伊達軍を粉砕し、領土の切り取りを続けます。

利府城と名生城は陥落。

大崎家は滅亡。そして利府城を手に入れたことで、陸前の本城も那須家のものとなりました。

残る寺池城を落とせば、陸前も完全に那須家の領土となります。

すでに日本海側の伊達家に那須家の大軍を追い返す余力はなく、ほどなく寺池城も陥落。

ついに陸前の統一も完了。残る羽後の二城を落とせば、伊達家討伐は完了します。

山間の真室城は道が険しく攻めづらいので、先に日本海側の鶴ヶ岡城攻略を優先。月山南部を通る道を拡張し、迅速に日本海側に進出できるようにしておきました。

その意図通りに大田原資清が鶴ヶ岡城に兵を送ります。創造のAIはより整備された道を優先して動くようなので、このような誘導も(一応)可能なのです。

鶴ヶ岡城陥落。伊達家攻略に王手がかかります。

程なく真室城も攻略完了。

1545年から1552までの7年に及ぶ戦いで、ついに伊達家を滅ぼしました。途中で反那須連合が立ち上がったり、当主那須政資が逝去するなどトラブルも続きましたが、なんとか目的を果たすことができました。

そして蘆名家も那須家の臣従。これで東北地方に残ったのは、南部家のみとなりました。

下野(栃木)、常陸(茨城)、磐城、岩代(福島)、陸前(宮城)、出羽(山形)という広大な領土を得た結果、気がつけば人口と石高で日本一となっていました。それでも北条家のほうが兵力が高いのですが、これは関東平野という肥沃な領土を持ち発展させやすい領土を持つが故。いいなぁ、関東平野。

しかし、関東平野に手を出すのは南部を滅ぼしてから。それまでは、北条ともよい関係を継続していきたいところです。

次の記事はこちら→信長の野望・創造PKで那須家でがんばる その6

(文/赤蟹)


赤蟹

スベスベマンジュウガニ並みに猛毒を吐きまくる赤い蟹の人。「てらどらいぶ」の裏ボス。サイト管理とコーディング、デザインなどを担当。文章を短くできないのが悩み。

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