【蟹さんレビュー】「この世界の片隅に」で、泣けなかった理由


去年話題となった「この世界の片隅に」。とにかく泣ける作品、感動の一本という口コミが盛んに交わされ、クラウドファンディング発の作品としては異例の大ヒットを記録した。名だたる映画評論家、芸能人が賞賛し、地味な滑り出しからは考えられないほどの興行成績をあげた。

どれほどの作品か見に行きたいと思ったものの、「泣ける」というキーワードでなんとなく腰が引けてしまい(人前で涙を見せるのはさすがに恥ずかしい)、ソフト化まで待とうということに。待っている間にBLACK LAGOONを見て、両作品とも片淵須直監督の作品と知って、期待度もうなぎ登り。5/10のデジタル版先行配信を待ちわびていた。

デジタル版配信の前に原作も読み、いざ視聴…したものの…

 

■まったく泣けない感動作?

結果、泣き上戸な私が、まったく泣けない。いろいろと思うところがあり、気持ちを揺り動かされはしたものの、下馬評のような「感動」は押し寄せてこない。おかしい。日本を感動の渦に巻き込んだ作品のはずなのに、ガールズ&パンツァー劇場版のオープニングを見た時点で涙がでる私の激弱涙腺がまったく崩壊しない。

世間の評価と自分の見方のなにが違っていたのか。それすらも分からない。気持ちをもてあまし、再度視聴するも結果は同じ。

原作マンガを読んだ時も、同じような気持ちになった。読み終えた後にきたのは、とてつもない違和感、居心地の悪さ、そして様々なネガティブな感情だった。しかし映画の方が、この違和感、気持ちの悪さは強かった。

特に終盤。時限爆弾が爆発した後。ずっと皮膚を通り抜けて内蔵を触られるような、ぞわぞわとした感覚に襲われ続けた。ストレスを感じさせるような戦闘の映像のせいではない。もっと原理的な息苦しさ。理由がつけられない気味悪さ。それは戦争が終わった後のエピソードを見ている時にも続き、スタッフロールの最後に、すずの失った右手が手を振った瞬間、悪寒に変わった。

なんてものを見せてくれたんだ。見終わった夜は、その不快感と、映像から得た印象のせいで寝つけなかった。

ネットでの評判を見ると「戦時下でも明るさを失わない主人公一家(嫁ぎ先)の明るさ」とか「当時の人が今と同じ感覚で生活していたことをリアルに感じられた」など、戦時下にも関わらずけなげに、懸命に生きる人々生活を賞賛するような言葉が多かったように思える。

しかし私には、すずが劇中で言った「左手で描いた絵のように歪んだ」世界がずっと頭を離れなかった。

この感想については否定しない。呉の空襲が始まるまでは、同じように思ったし、戦争が終わった後には安堵感があった。エンディングでは「良かった」と胸をなで下ろした。
しかしその安堵ですら、本当に自分が安堵したものか、もしかしたら騙されているのではないか、と疑った。

この強烈な違和感の正体は、なんなのだろうか。

 

■生活感や正確な戦中の描写は、すべて終盤のお膳立てである。

「この世界の片隅に」は、戦時下の広島での生活を細かく再現、描写することで、当時の広島を極限まで再現している。「神は細部に宿る」というが、劇として不要なところまで徹底的に作り込んだことにより、すずやその周辺の人々だけではなく、モブの人達も全員生きていると認識させる映像を実現した。

が、それにしても終盤25分への布石にすぎないように思う。

劇中に出てきた広島の「その他」の人達の多くは、原爆によって殺傷されてしまう。

こんな普通に暮らしている人達の生活を、命を、たった一発の爆弾で奪った原爆という悲劇。帝国海軍の母港ゆえに、執拗な空襲を受けて破壊されつくした呉とは対照的に、「空爆がないから」という理由で楽観していた広島の人々。すずの実家である浦野家の人(妹のすみ)にせよ、激しい空爆を受ける呉から避難すればと誘っていた。

広島の「その後」を知っている視聴者は、物語の展開に対してメタの視点を持っている。すずが広島に行ってしまうのか。行かない方がいいと心の中で叫ぶ。しかしすずは、腕を失って家事ができなくなってしまったこと、子供が作れないこと、義理の姪にあたる晴美を死なせてしまった罪悪感、そしておそらく空襲の恐怖から、広島の実家に戻ろうと決めてしまう。
しかし8/6の朝、晴美の母であり義姉の径子が、すずの世話をするから北條の家に残ってもいいと遠回しに引き留めた直後に閃光が走り、すずが残ることを決意した瞬間、原爆による衝撃波が届くという脚本も見事だ。

原爆の被害と対比すると、呉の被害は軽いもののように思えるが、先のすみの発言にもあるように、呉には鎮守府があったため執拗な爆撃を受けることになる。広島の原爆は確かに悲劇だが、通常兵器による爆撃も非常に恐ろしいものだ。焼夷弾や時限爆弾、機銃掃射など、あらゆる手段で呉の人々の生活をと命を奪っていく米軍機に、有効な反撃ができない無力な日本軍。その狭間で、すずたちの生活は崩されつづけた。

「この世界の片隅に」の秀逸さは、広島という太平洋戦争史、近現代史において特別な意味を持つ地方を、その原爆のみならず呉という大規模爆撃を受けた都市の惨状についても描写したところだろう。誰もが広島=ヒロシマというキーワードを持ちがちだが、帝国軍の主要地が密集した地域にあって、原爆というイベントのために一人歩きしてしまったヒロシマだけが悲劇を被ったのではないとする部分ではないか。

「この世界の片隅に」とは、人々の暮らしや現代の地平としての戦中ではなく、ささいなきっかけや、自分の力の及ばぬところではじまったなにかのせいで、それぞれの人生を歩んでいる人達の暮らしが、いのちが、大切な人達が失われていく、そのグロテスクな現実を描いたものであり、前中盤の「戦時下の暮らし」とそのディテールは、終末に向けての小道具として機能するものだと私は感じた。
戦時下の人々をありありと描けば、この人達が皆死んでいったのだ、というやるせない気持ちになる。

そして思った。そうだ、BLACK LAGOONのOVAだ。ロアナプラを駆け回るロベルタだ。フィクションであるはずなのに、詳細な描写で視聴者を釘付けにし、そのリアルでグロテスクな世界と存在に引きずりこむ。作品世界に没頭すればするほど、その詳細な描写ゆえに気味の悪さを実感してしまう。

BLACK LAGOONのOVAでも、エンディングで満身創痍ながら戦いから生還したロベルタの幸せそうな生活が描かれた。しかしその幸せも、指や腕を引き替えにして得られたものだ。その姿を心の底から安堵できるのだろうか。救われたことに安堵しつつも、口の中に広がる苦味は隠しきれないのではないか。

そして映像の中身を現実だと認識した時、泣くような感動よりも、肺腑を抜かれたような衝撃と後味の悪さを覚えた。

だから、泣くに泣けなかったのだ。

 

■終戦という価値観の崩壊と「普通」の意味

玉音放送と共にアイデンティティが崩壊、すずはわめき、そして泣き崩れた。

戦争のために何もかも捧げたのに、何一つ報われず、結果として自分の右手、姪の晴美、そして広島の実家の家族、さらに広げるならば平穏な生活までもが奪われるだけ奪われていったすず。玉音放送は、その5年間をすべて否定するものであった。

玉音放送によって「戦時」に翻弄された彼女の生活は終戦と共に終わりを迎えるが、現人神の声ですら、彼女にとっては心地の良い福音ではなかったのだろう。

すずは、のんびりした性格故に愛され、マジメに暮らすことによって北條の人達や地域の人たちに愛された。もちろんそれは芝居でない。様々な事が表に出ない(出せない)性格であるがゆえに、終盤の敗戦目前となってから激しい気性を見せる彼女を見て、視聴者は彼女も戦時下の生活に「耐えていた」という事実を知ることになる。

そうしたすずの身の上は、原爆によって全てが変わる。悪い意味でも、良い意味でも。

原爆投下と前後して、すずは浦野の人から北條の人へと変わっていった。ずっと北條の家にいることに決めたのだ。それによって、どこか他人行儀だった夫の周作との関係も変わった。戦時も日常の中にあるのなら、失うものばかりではない。事象によって生まれるものは、なにも負のものばかりではないのだ。

残酷な話だが、原爆の投下は、すずの過去と今後を仕切る境となった。過去たる広島は原爆で焼かれ、一人呉にお嫁に行っていたすずだけが生き残れた。北條の家を出ると言っていたら、すずはこの世に残れなかったかもしれない。

水原哲が北條家に泊まりに来た時、すずに何度も「普通」と言う。しかしその普通にしても、終盤は大きく瓦解してしまう。そしてすず自身も、普通のままでは生きられなかった。
「この世界」とは歪みきった世界であり、日常でありながら日常ではない空間であり、その中で誰もが普通では生きていけない世界である。しかし、その歪んだ世界とて、実は日常の中にあり、そのまま私たちが生きる現代へとつながっているのだろう。

広島で拾った孤児は、子を成せず、腕を失ったすずを、晴美を失った北條家を救った。晴美の代わりにはならないが、失われた何かを補うことが出来る子だ。彼女のおかげで、すずもふたたび笑える世界に戻れたのだろう。しかし、失ったものは、失われたままだ。

そのような事に折り合いをつけていくことが人生なのだろう。そこに戦時も平時もない。ただ人の営みがあるだけである。この映画のリアリズムは、平和な今とて人の営みである限りは例外ではない、と雄弁に語っているように思われた。

それにしても、スタッフロールの最後の、失われたすずの腕がバイバイした相手は誰なのだろう。その右手が手を振った相手は、なんだろうか。すずの過去だろうか、戦争であろうか、それとも現実世界の視聴者だろうか。

(文/赤蟹)


赤蟹

スベスベマンジュウガニ並みに猛毒を吐きまくる赤い蟹の人。「てらどらいぶ」の裏ボス。サイト管理とコーディング、デザインなどを担当。文章を短くできないのが悩み。

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