バニラエア炎上に見る障害者の権利と社会のコンセンサスと

今、にわかに木島英登氏という方が炎上しています。

 鹿児島県奄美市の奄美空港で今月5日、格安航空会社(LCC)バニラ・エア(本社・成田空港)の関西空港行きの便を利用した半身不随で車いすの男性が、階段式のタラップを腕の力で自力で上らされる事態になっていたことがわかった。バニラ・エアは「不快にさせた」と謝罪。車いすでも搭乗できるように設備を整える。

なぜ炎上したのか、詳細はこの記事と、他所に譲るとして、重度障害者の父を持っていた私の個人的な見解を述べさせてもらいたいと思います。


去年10月に亡くなったうちの父は、30代にちょっと特殊な筋ジストロフィーを発症し、それから30年間病気と向き合ってきました。

筋ジストロフィーは身体全体の筋肉を失っていく病気です。症状が悪化すると歩くことはおろか、日常生活の様々なことが困難となり、最終的には介助なしでは生きていけない身体となります。

しかし父はそんな病状と環境に甘えず、自分だけでできることは、なるべく自分でやろうという考えていました。

例えば。

JR宇都宮線に東鷲宮という駅があります。車両基地があった関係で、下りが一階、上りが二階という二階建てホームの駅です。そして二階にあがるためのエレベーターやエスカレーターがありませんでした(現在はあります)。
父は毎朝杖をついて階段をあがり、座らないと東京までいけないので、毎日始発に乗って通勤していました。
そんな生活を20年も送っていたのです。
もちろん「エレベーターやエスカレーターがあれば便利なのに」とか、「障害者が確実に座れる席があればいいのに」などと思ったことはあるでしょう。しかし、「エレベーターがないのは障害者に対する配慮が足りない」とか「健常者は優先席に座るな」などと言ったことはありませんでした。自分でできる範囲のことは、自分でしっかりこなしていたのです。

また。

父と母、そして埼玉の弟が六本木に遊びにきた時のこと。私が行きつけにしていた美味しいカレー屋があるので、食べに行こうという話になりました。
しかしそのカレー屋は二階にあり、しかも小さなビルだったので階段でしか入ることができませんでした。父が上れないというので、六本木ミッドタウンの地下にあったデリーにしました。「残念だ」とは言ってましたが、どこかの方のように、「階段でしか入れないのは差別だ」「障害者への配慮が足りない」などと言うことはありませんでした。

それは諦めというより、自分の身体の事で誰かに迷惑をかけたくないという父のポリシーによるものです。
障害者一級の認定を貰い、税制面や年金で十分優遇されているのだから、それ以外の部分でできることは、なるべく自分でやろうという考えでいたのです。

 

さて。

バリアフリーな社会を目指して十数年が経過しました。今では高齢化を見込んで一般住宅でもバリアフリー化が進んでいます。このような障害者、または高齢者の行動介助を目的にシステム化されている傾向は、元身体障害者の家族がいた人間の一人として、非常に喜ばしいものだと感じています。

しかし、どれほどバリアフリーが進んだとしても、身体の問題は解決しません。父がそうであったように、歩くことそのものが不自由な人間にとっては、移動を伴うあらゆる行動が、健常者では理解できないほど困難な事になってしまいます。

となれば障害者側の選択肢としては、より一層の配慮を世間に求めるか、自分からバリアフリーのファクションにアプローチしていくかの二択しかありません。

世の中の権利というのは、行政や立法、そして社会が決めたルーリングに基づいて個々人それぞれの間で落としどころをつけるものです。どちらか一方の権利が強まると様々な不都合が発生します。それは障害者も健常者も同じで、お互いルールに基づいて配慮しあわなければなりません。

「車椅子の人間が利用できないのはどういうことなのだ」と抗議する事は、仮に有用な事だったとしても、バニラエア側の事情を考えず一方的に非難したことで、互いのコンセンサスがとれていないということになります。

このサイトで何度も書いてますが、「行為の前になぜ話し合いがないのか」ここが問題ではないかと思うのです。

バニラエア側も障害者に対して決して無配慮なわけではありません。事前に連絡すればお互いの良い落としどころを決められたと思います。しかし木島氏は連絡すると搭乗を拒否されるからという理由で連絡しなかったそうです(同氏のブログより)

その可能性は大きかったとしても、一応は連絡して話合う機会を設けるべきでした。「搭乗拒否される」と言う予想はあくまで予想に過ぎません。バニラエア側がなんらかの対策をしてくれる可能性もあったでしょうし、乗れないとするなら他の航空会社に切り替えればよいだけの事です。中には木島氏の希望に沿うサービスの航空会社もあったかもしれません。

人間はコミュニケーションができる動物なのだから、自己の権利を主張する前段階としてルーリングに基づく話し合いを持つべきなのです。かつては2日前に連絡しなければ新幹線に乗れなかった時代があった、と同氏のブログに書いてありましたが、それは「かつて」の話です。今は改善されているのなら、過去の証文持ち出して正当化することには違和感しか感じません。

この件を受けてバニラエアでもアシストストレッチャーなどを導入し、車椅子の人を無理なく乗降させることが出来るようになりました。これに対して「導入できるなら最初から導入しろ」という意見を見かけました。

おっしゃるとおりです。

しかしこれも、木島氏があらかじめ伝えたなら、何らかの配慮があり、事件が起きる前にバニラエア側で用意してくれたかもしれません。
あくまで予想に過ぎませんが、木島氏も「連絡したら拒否される」と予想に基づいて動いたなら、バニラエア側の配慮も予想に基づいて想定することに問題はないと思います。

となれば、やはり木島氏のコミュニケーション不足と搭乗拒否されるという思い込みに問題があったのではないかと思ってしまうのです。

総じてみれば、木島氏のやり方が強引であったこと、障害者という弱者の立場を利用してマウンティングをかけてしまった(ように見えた)こと、都合よくマスコミが動いたことなどが、多くの健常者の不信感を煽ってしまったように思います。バリアフリーを訴えるためのパフォーマンスであったという言説も見られますが、もしそうだとしても悪手であった、としか言いようがありません。

なにしろ炎上してしまっているのですから。

 

障害者側も「やれることはやる」ような「配慮」が必要だとは思うのです。
別に障害者を責めるつもりも、もっと意識高く生きろと言いたいわけでもありません。しかし配慮しない者に、周囲が無条件の配慮をしてくれるとは限らない、と言いたいのです。

バニラエアを懲らしめてやった的な感じになっている木島氏の顔と、健康そうな上半身をみるにつけ、自力で階段上れるだけの機能があるなら問題なかったのでは? と思うのです。

それはおそらく、多くの人達が思った感想のようにも思います。木島氏にも障害があったのですが、バニラエア側にも事情があった。バニラエアは確かに配慮不足であったかもしれないが、それをマスメディアにまで流して総バッシングさせるほどの事だったのでしょうか。

このような流れが常態化すれば、かえって健常者と障害者の間に不触の壁ができあがってしまいます。障害者に関われば、どこかで社会的な制裁をうけるようなことになる、というおそれを生み出してしまうことになってしまいます。

それが本当に障害者に必要なことなのか。そういうことを今一度考えていただければな、と思います。

多分に問題がある文章だとは思いますが、これが今回のバニラエアの件についての私の率直な感想です。

(文/赤蟹)


赤蟹

スベスベマンジュウガニ並みに猛毒を吐きまくる赤い蟹の人。「てらどらいぶ」の裏ボス。サイト管理とコーディング、デザインなどを担当。文章を短くできないのが悩み。