コンテンツにおける「性のメタファー」 アニメだけがなぜ槍玉にあげられるのかを考えてみた

最近「京アニ作品」がマイブームである。
きっかけは「響け!ユーフォニアム」だ。ブラスバンドがテーマということで、「けいおん!」のようにゆるふわストーリーだと勝手に勘違いして見始めたのだが、ガチの熱い青春群像劇で見事に期待を裏切られた。これは嬉しい誤算であった。

同作のレビューは別項にて書く事にするが、この作品で思い出されるのは「男根のメタファー」という言葉である。

翻訳家の久美薫氏がTwitter上で発言した以下のツイートが発端である。

こういうのが西洋人の目には児童ポルノと映ってしまう。だから恥ずかしいということではなく、日本のおたくカルチャーは児童ポルノと同じ進化環境で進化してしまったということ。それにしても男根の代わりにでっかい吹奏楽器と絡むこの構図はいったい。

ツイートの元となった画像は、アニメスタイルというムックの表紙で、主要メンバーが担当楽器を持っているイラストである。

詳しくはご自身によるまとめがあるので読んでいただきたい。

個人的に「楽器が男根のメタファーである」という指摘に大きなズレを感じたが、考察としては興味深いものがあるととらえた。

久美薫氏は一連の発言(ツイート)の中で、オタク文化にはオタクにしか分からない性への共通認識があること、オタク向けアニメ作品には性の暗喩があり、それを肥大化させた先にいわゆる「薄い本」があること、それらの符牒が理解できない人間、特に外国人から「児童ポルノ」と指摘されるのは仕方が無いことであると主張している。

実際、オタク文化として類型化される多くのコンテンツは性的衝動を消費の起点とされる場合が多い。例えばソーシャルゲームの多くも、露出度の高い衣装の性的アピールの高いボディラインを持つ女性を前面に押し出して集客、もしくはユーザーロイヤリティの獲得を目論んでいる。
日本が消費型資本主義である以上、顧客に望まれる商品を提供するのは企業の責務である。その商品に性的衝動を伴うイラストが求められているのなら、そのフォーマットにあわせて商品展開していくことには当然のことであろう。

久美薫氏の言わんとすることを拡張すると、これらオタクの間で流通する性的なメタファーが含有される作品(イラスト等を含む)は、オタク文化の中だけで消費されているということになる。
実際、本意見の発端となった「アニメスタイル」という雑誌(の表紙)も、アニメを見ない層からは視覚的に認識されるだろうが、そのイラストがなんであるか、性的であるかという「ふるい」にすら掛けられることはない。アニメファン向けの雑誌だろうと、興味外のモノとして見られて終わりとなるはずである。

アニメを含むコンテンツの消費衝動に、性的な要素があることは事実である。そもそも恋愛感情も、その下地には性的な希求があり、そして性行為が帰結となる。こう考えれば、恋愛をテーマとする歌すらも性行為のメタファーとなるし、多くの一般向け小説も性的表現を行っているというそしりを免れなくなってしまう。

しかしこれらの歌や小説に商用作品に対して「性行為を想起させる(もしくは直接表現している)のはけしからん」と、今時言う意見は見られない。メタファーどころか直接性行為に関わる歌詞、描写があっても糾弾されることは少ない。
これはかつて歌謡や小説も下賤で卑猥であると問題の槍玉にあげられた過去があるからだ。新しい価値観を享受できない大人たちが、旧世界のルールに沿ってバッシングを行ったためだ。あらゆるコンテンツは、この試練を乗り越えて今の繁栄を迎えている。

言い換えれば、性的メタファーを突き上げの材料にしたところで、それを望む消費者がいる以上、資本主義下の文化は決して衰えないということである。そしてコンテンツが普遍化して消費者が増えれば、仮に性的なメタファーがあろうが揺るぐことはないのだ。
時折アイドルの歌詞が過激などと騒がれることもあるが、それも裏返って売上につながるファクターになるくらいだ。

では、なぜアニメ文化はそこまで昇華しきれていないのか。

それは久美薫氏がいうように、いまだにアニメが子供向けコンテンツの延長上にあるもので、大人が消費するべきものではないものと認識されているためだ。そのため、大人になってアニメを好む人間全体を、未成熟なものだと決めてかかられてしまうからであろう。

つまり「幼児性を引きずった人たちが性的に興奮する」事が不気味であると考えられているのだ。

そこにノイジーマイノリティのクレームが入りやすくなってしまった現在の消費環境が加わる。
たった数人の不愉快が絶対律となってコンテンツの是非が判断される。「性的」というキーワードはセンシティブなものとなり、特に倫理に基づいた議論を呼ぶ。倫理性を持ち出されれば「性的」と判じられたコンテンツ側はいかにも分が悪い。そしてそのような意見が根強く残っている限り、アニメを含むオタク向けコンテンツはフェミニストや知識人の監視を免れ得ず、アニメという趣味が理解されず、いまだ偏見が根強く残る土壌がいつになっても消え去らないということになる。

文芸や歌詞の世界で性的メタファーが許されるのに、オタク向けコンテンツだけがいつまでも槍玉にあげられているのは、このような理由・環境があるからだろう、と私は思う。

久美薫氏の言わんとすることは理解できるのだが、最初の起点とその後の論展開に「男根のメタファー」として、ラッキースケベのパンチラすらない響け!ユーフォニアムを持ち出し、安直に児童ポルノ論に結びつけてしまったのは、なんとも悪手としか言い様がない。個人的にはおもしろい観点だと思ったので、なおさらもったいないと感じてしまった。
お互いの意見がすれ違う中で、フェミニズム過激派、すなわちノイジーマイノリティの意見と混ざり合ってしまった結果、議論の本質からズレてしまったのは、久美薫氏のキャストの問題であろうと思われる。
何かに固執する意見は、多くの敵を作りかねないのだ。

(文/赤蟹)


赤蟹

スベスベマンジュウガニ並みに猛毒を吐きまくる赤い蟹の人。「てらどらいぶ」の裏ボス。サイト管理とコーディング、デザインなどを担当。文章を短くできないのが悩み。