70年代の学生運動、そして共産主義の狂気が分かる怪作「レッド」

久々に狂気じみたマンガを読んでしまった。

その名も「レッド」。赤。アカといえば鎌と鎚、すなわち共産主義の色だ。血染めのような赤い旗は革命のシンボルである。

本作は日本赤軍、特にあさま山荘事件に関わった武闘派路線のグループにフォーカスして描かれる。現在まで「レッド(全八巻)」「レッド 最後の60日 そしてあさま山荘へ(全四巻)」までの

レッドの前半は武闘派グループの前身である革命者連盟(日本共産党(革命左派))と赤色軍(共産主義者同盟赤軍派)それぞれの活動を淡々と描いていく。
両団体(もしくは周辺の革命勢力)は「革命」の資金集めとして万引きを繰り返し、果ては「G作戦」と称し銀行強盗を行うなど、過激な犯罪行為に手を染めていく。
これら一般市民を巻き込んだ犯罪行為は、やがて市民が彼らの暴力的革命路線を忌避する原因となるのだが、作中では「登場人物が見えないものは描かない(書かない)」ことを徹底することで、彼らの奇異で狭隘な思考を浮き彫りにしている。すなわち万引きも銀行強盗も確信犯であるので、世間の評価を正確を感知できないという文脈になっているのだ。

そんな武力闘争の中、革命者連盟の赤石が、銃奪取のため襲撃した交番で警官に射殺されるという事件が起きた。革命者連盟は赤石が権力による暴力によって殺されたと断じ、警官への報復を目論むようになる。
赤石の死は銃を奪うために警官の殺害まで想定した交番襲撃の結果であり、我々の価値観では自業自得に見える。だが本作は前述のように、登場人物たちの視点外の事は描かれない。殺すつもりで襲撃し返り討ちにあったとしても、それは権力によって殺されたとしか思わないのである。

やがて「革命のため」猟銃店を襲った革命者連盟は、銃を所有するということで革命軍の中でもひときわ注目される存在となる。銃を手に入れたことで革命軍の結成が現実味を帯び始める。
たかがこの人数で何ができるのだ、と読者は思うわけだが、彼らは自分たちが決起すればフランス革命のように全国民は決起し、日本は赤化するであろうと信じているのだ。
しかし国民はすでに彼ら武闘派をテロリストであると認識しており、社会から孤立する存在となっている。しばしば共産主義者のシンパからのカンパも芳しくない描写があるが、これは「身内」からも活動の正当性を疑問視されている証左だ。だが、日本の共産主義化を夢想する彼らは、当然のように気づかない。

このように、「レッド」の前半は、ともかく彼らの独善的な視点が浮き彫りとなる。2017年に生きる我々、すなわち共産主義の敗北を知る現在の私たちにとっては、何もかもが滑稽に見える。20代前半のインテリ(候補)たちが、頭だけで考えた理論の中で、非現実的な活動を通し、たかだか数十人で国と戦争し、日本を変えようとしているのである。我々からすれば、そんなバカな事ができるわけないだろう、としか思えないのである。

しかし当時は現在よりも左派が大きな力を握っていた時代だ。敗戦により旧帝国の価値観が否定され、大陸の干渉のもと、日米の関係の断絶とレーニン主義、毛沢東主義の達成こそ新世代の平和的国家、そしてプロレタリアートの楽園を醸成するものであると信じられていたのだ。この頃に多くの全共闘世代が各マスコミに入り込み、共産主義的価値観を是とする情報を優先的に流し続けた事はもはや説明の必要もないだろう。

そのような背景の中で、若者は革命の熱に煽られ、妄想的活動に全力を注いでいたわけである。殲滅戦と称する交番の(末端の)警官を殺害しつづけることでやがて日本が変わると信じていたのだ。

現在との価値観のギャップには驚くばかりであるが、この蒙昧な思想・思考は「ベース(基地)」に入って以後、より強度・深度を増していく。世間と断絶した山の中で、彼らは思想の純度をたかめ、やがて蟲毒皿のごとく殺し合うことになるのだ。

革命者連盟と赤色軍の連合組織である赤色連盟のリーダーに就いた「北盛夫」は純粋な共産主義者であった。彼は理想家でありかつ完璧主義者であり、なおかつサイコパスであった。

実はすでに革命者連盟は2人ほど「処刑」していた。恐ろしいことに、彼らは仲間の命よりも革命活動とそれを支える意思、組織力が大事だと考える。そのためには、これまで活動していた仲間でさえ殺そうと考えているのだ。

その考えが、山中という閉鎖的な空間でより先鋭的になっていく。例えば思想的惰弱、思想に対する不誠実さ、もしくは惰弱的な活動を常に自己批判させられる。しかし自己批判だけでは足りないと思われる者には「総括」と称し、リンチを行われることになる。

本作には、丸数字が付された登場人物たちがいる。その番号は、あさま山荘事件まで死亡した登場人物の、死ぬ順番である。➀は言うまでもなく、警官に射殺された赤石だ。この数字が⑮まである。すなわち⑮人死んでいくのである。

しかも最初の赤石以外は、全員組織内の人間、共産主義的に言えば同士同胞によって殺害されるのだ。

山中のベースに入り、まず殺害されたのが黒部一郎。きっかけは言動に対する総括と、総括中に後述の薬師と性行為に及ぼうとした事による。薬師の密告によって性的行動がバラされた黒部は、総括をうながすためとリンチにあい、縛られることになる。暴力を提案したのはリーダーの北。暴力を受け失神することによって新たな自分に生まれ変われると説くと同時に、いくら殴っても気絶しない黒部を総括が足りないとさらに殴打を加えることになる。
やがてリンチの輪に一郎の弟の次郎、三郎が加わる。肉親による暴力は、北九州連続殺人や尼崎事件を想起させて非常に胸くそ悪くなる。

また黒部とキスした薬師も、同様にリンチを受けることになる。雪が降り積もる榛名山中で気に縛られ、飢えと寒さにより「敗北死」することになる。

そして伊吹。赤石が殺された交番襲撃の失敗を今更とがめられ、谷川と格闘訓練(という一方的殴打)と総括によって敗北死する。彼がベース内で最初の犠牲者となる。

敗北死とは、すなわち思想に殉じ、純粋に共産主義を信じることができなかった人間が、総括の不足によって死ぬ現象、すなわち共産主義者としての克己が不十分なために至る死のことだ。なんてことはない。リンチによって殺されているのだから、敗北死などのはずがない。だが狂信的思想に駆られる北は、詭弁的なロジックでリンチによる死を正当化したのである。

やがて最初に制裁を受けた黒部一郎も敗北死すると、次々に仲間が総括されることになる。
前半の淡々としたトーンと違い、殴打を受け変形した顔がコマ、そしてページを埋めていく。総括対象は女性にも及ぶ。天城はその女性的なファクターでベース内の男性を誘惑し、優位的地位を得ようとしたとして、自ら殴打する総括を求められる。最初はボディを殴る天城に、総括が足りないと顔を殴打するように求める北と、革命者連盟のリーダーであり赤色連合の副リーダーである赤城。自慢の美貌も変形し、醜く腫れ上がった顔を鏡で見るように強制され、挙げ句の果てに髪まで奪われることになる。

恐ろしいのは、これらの暴力は総括を促すため、すなわち仲間のためにやっていることだと信じこんでいることである。

総括という暴力により支配権を確立した北は、仲間を次々と総括していく。その毒牙は妊娠した宮浦にも及ぶ。反抗的であるという理由で総括された宮浦の子供を「取り出そう」というグロテスクな発想に発展。もちろん彼らに道徳に反することをやっているという意識はない。全ては共産革命のために必要なことだと信じているのだ。

結局、ベースでの敗北死は12人に達した。残った人数は11人。ベースに拠った人間のうち、半数以上が総括により敗北死もしくは処刑されたことになる。

そして総括を主導した北と赤城も警察によって捕まってしまう。残された9人は、やがて「あさま山荘事件」として昭和史に名を残す大事件を引き起こすことになる。

これだけ暴力の限りを尽くし、同胞が死ぬのを「敗北死」などとうそぶいた北は、その後拘置所で自殺することになる。
自殺こそ人生からの逃げであり、敗北死にほかならない。自裁したと言えば聞こえがいいが、自分一人なにひとつ責任を取らずに死んだわけだから、これ以上の詭弁はないだろう。

 

本作は登場人物の名前こそ仮名となっているが、徹底した取材により、リアルで臨場感溢れる共産主義的の狂気がまざまざと描かれている。
容易に戦争、殲滅戦という言葉を口にし、革命のためと嘯いて犯罪行為に手をそめ、やがては総括という名目のために次々と同士を殺していく。そのおぞましい現実を、集団心理にかられ、正常な判断ができなくなっていく人間の狂気を、山本直樹(森山塔)は見事な構成で描ききっている。
だが、狂っている。その狂気に気づけていない北本人、そしてそんな北の言動を鵜呑みにし、疑問をもたなくなる仲間など、閉鎖された空間、人間関係の中で狂気が普遍化する過程、そして支配していく様子が描かれていく。
正直、読んでいて胸くそ悪くなる。共産主義という理想の思想が生み出した悪夢をまざまざと見せつけられる。しかし本作は共産主義を否定していない。恐ろしいことに、北たち総括の主導者さえも凶悪な人間と描かれていない。
この手の作品では作者の思想が色濃く出るものであるが、本作にはそれがない。覚めた中立の定点観測により、事実を淡々と織りこんでいくだけである。
だが、その冷静な視線であるからこそ、判断を読者に丸投げされているからこそ、集団心理の恐怖が胸に迫るのである。

台詞の文字も多く、共産主義独特の専門用語、そして理論などが飛び交い、読み進めるのも大変な本作だが、不思議と続きが気になってしまう、あっという間に読破してしまった。後半の暴力描写が始まると、なぜか続きが読みたくなってしまう。そんな魔力に溢れた作品だ。

熱狂的な学生運動に果てにあったもの、それは何だったのか。暴力革命という名の帰結がもたらしたものとは。そして人間の持つ危険な理性とは。
「レッド」は70年代の「共産主義」という狂気を知る良書であると共に、人間という存在の危うさに切り込んだ「怪作」である。

 

(文/赤蟹)

[g_arts]


赤蟹

スベスベマンジュウガニ並みに猛毒を吐きまくる赤い蟹の人。「てらどらいぶ」の裏ボス。サイト管理とコーディング、デザインなどを担当。文章を短くできないのが悩み。