てらどらいぶって、
なにやってるのかな?

東京都北区、飛鳥山のそばでWebページ制作、Webコンサルタント、UI/UX設計などのお堅い仕事から、VTuber運営、キャラクター作成などやわらかいものまでいろいろとやっている事業体です。

Web設計からキャラクター制作まで(事業紹介)

Web制作などデジタルを中心に、キャラクター制作など面白いことも行っています。

Webページ制作

Webページ制作

あなたのサービスにふさわしいWebサイト制作を請け負います。制作は実績豊かなデザイナー、ディレクターが担当。ハイクオリティなWebページをお届けします。

UI/UX設計

UI/UX設計

システムやアプリのUI/UXを設計します。経験と知識が豊富なメンバーであなたのサービスを分かりやすく親しみやすく設計します。

Web戦略コンサルタント

Web戦略コンサルタント

Web解析士が、コンテンツSEOやWebページのアクセスアップ、SNSプロモーション戦略など、幅広いWeb戦略を提案します。ぜひご相談ください。

コンテンツ制作

コンテンツ制作

ゲームやコミックの原作、Webコンテンツ制作の実績があります。コンテンツ案の企画段階から携わりますので、お気軽にご相談ください。

VTuber事業

VTuber事業

VTuberの「もるこ」の運営をしています。これからのトレンドとなるかもしれない、最先端のエンターテイメントを披露いたします。

イベント企画運営

イベント企画運営

てらどらいぶの領域はデジタルだけではありません。芸能人・著名人のリアルイベントもプロデュースしています。またARを使った先進的なイベントも企画中です。

てらどらいぶ実績一覧

てらどらいぶで関わった事業の、ほんのちょっとをお見せします。

中の人はこんなカンジです。

てらどらいぶの中の人、「団長」の高岡について紹介します。

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経営コンサルタント会社で経営計画立案の業務に携わった後、縁があって楽天株式会社に入社。
10年ほど動画配信事業等に従事した後、もっと自由に前向きに、自分がやりたい事業を成し遂げたいと思い、独立を決意しました。

得意分野はコンテンツ制作、映像制作、UI/UX設計、Web戦略等ですが、デジタルな事なら基本的に大好物です。

趣味はゲームと読書、カメラという典型的なオタク気質。好きな食べ物はおでんとカレーです。

これまで生きて得た経験ばかりではなく、常に新しい事を知り、挑戦し、取り組んでいくという姿勢は崩さずにいこうと思っています。また、ビジネスでも私生活でも、既存の価値観や常識に固執せず、常に流動的に世の中の変化変革にあわせられる、フレキシブルな人間になれるように心がけています。

「らき☆すた」で有名な埼玉県鷲宮町(現久喜市)出身。東京都北区在住。北区と秋葉原をこよなく愛しています。

団長 - 高岡幸正

団長日記

てらどらいぶな日々を写真と文章で紹介します。

ハイカルチャーの衰退は自分の尾を喰らう蛇のごとく

先日、あるレトロゲームの実況配信をしていまして、そこで出てきたある伝統工芸が危機にあるという、あまりゲームとは関係のない余談で盛り上がりました。

その伝統工芸に限らず、日本各地の様々な伝統工芸や伝統文化の多くが、直近ではなくてもユーザー数や担い手の減少で尻すぼみになりつつあるという問題を抱えています。

そんな中で、あるコンテンツを見ていたのですが、そこに出演されていた伝統文化の方が、「今の若者は」というありがちな言い方で、伝統文化に関心を寄せない日本の若者に対して遠回しな苦言を言っていました。

さらに他国の若者の方が日本の文化に関心があるなどと言い出し、この言い方はどうなのかなと、すでに若者の範疇は外れた私ですが、ちょっと眉を潜めてしまいました。

そもそもなんですが、「今の若者は文化レベルが低い」みたいな言い方をハイカルチャー側の人達が言えば、若者は当然反発するでしょう。

文化といっても千差万別ですし、ハイカルチャーばかりが文化ではありません。まして平和で豊かな日本は文化の多様性も多く、様々なサブカルチャーが花開く国です。

ハイカルチャーなどと気取ってみても、別に人生にあってもなくてもいいものだし、趣味を楽しむ時間があるなら、若者をいちいちバカにする年寄りがいる分野より、同年代の同好の士が集まる趣味や文化の方を楽しむのは当然と言えます。

どのような文化がよくて、どの文化が悪いなんて、社会的地位や文化レベルが高いと自称する人にだって、決めることはできないのです。

決めるのはその文化に触れて楽しむ個々人であり、ユーザーが増えた文化が栄えるのは当然だと言えます。高尚だから、歴史があるかというだけで、マウンティングできるほど「文化」の世界は甘くはないのです。


多くの伝統文化や伝統工芸の需要が低下し、中には補助金なしではなりたたないもの、後継者がいなくて途絶えそうなものすらありますが、文化の担い手や顧客となるはずだった若者を、あなたたちはどう扱ってきたのかと問いただしたい。

自分たちの文化や作品を理解しない若者をバカにして、理解し、理解してもらおうという努力もしなかったような人も、少なくないのではないでしょうか。もしくは文化の変化を恐れるあまり、若者に寄り添おうとするものを批判したり叩いた古参のユーザーもいたかもしれません。

仮に口にはしなかったとしても、無理解な人間を見下すような態度や気配は、相手の心情を察するのが得意な今の「空気が読める」若者にはわかってしまうのです。

はっきり言ってしまえば「若者を侮らないでほしい」と思うのです。

私はサブカルチャー側の人間なので、ハイカルチャーの人間が「こちら側」をバカにしてくる局面を何度も見てきました。

例えば、実写映画畑の人間が、アニメを下衆なものバカにしたり。

実写映画とアニメの誕生の差はたかだか20~30年で、映画のほうが歴史がある、と決して言い切れるものではありません。この30年の差は双方の歴史が長くなれば結局は誤差にすぎなくなるわけで、実写の人たちがアニメを新参扱いしてバカにするのは、やはり違和感があるわけです。

でも、映画だって最初は芸術だと認められないで、先人が多くの傑作を作ることで生き残ってきたわけです。今、アニメをバカにしている映画関係者は、その延長上にいるに過ぎないのです。

音楽だってそうです。クラシックが主流だったところ、ニューミュージックやロック、テクノなどが生まれ、今では様々な音楽がいろいろな人達に楽しまれています。しかし、革新的すぎたり、好むユーザーの問題で生まれが不幸だったジャンルも多くあったわけです。

多くの文化は、大衆の手で揺籃されて大きく盛り上がり、1ジャンルとして確立されていくわけですが、そのスパンが何百年と続くといつの間にか金持ちだけの道楽に「堕落」し、庶民の関心を失い、ゆえに趣味を認めない人たちは下衆だのなんだとのハイカルチャー側の人間がバカにする構図ができあがってしまうのです。

大衆の関心を失い、滅びそうな文化を資産家がパトロンとして支え続けてきたので、結果ユーザーが金持ちしか残らなかったとも言えるのですが、そのような状況を「大成」というのは非常に違和感があるし、サブカルチャーを生業にしている私としては、なぜもっと早く大衆に歩み寄れなかったのかなとも思ってしまうわけです。


そのコンテンツの中でその人は「今後は海外に活路を見出していきます。海外では今、日本の伝統文化が非常に注目されているんですよ」と言っていました。

海外で日本の伝統文化が注目されるのは、私達が海外の文化に興味を抱くように、自分たちの生活の中にはないものがあるから、珍しいと思ってしまうからです。決して高尚だからとか、文化レベルが高いからとかではありません。

そのハイカルチャーと同じくらい、日本のゲームやアニメだって注目されているはずです(こちらは珍しいから、ではありませんが)。

国内の市場開拓を諦めて、簡単に売り込める海外勢を相手にしてしまうのは、個人としては逃げではないかと思うのです。若者を取り込み、新たな担い手を増やし、中興を目指し伝統を紡ぐことこそ、伝統のハイカルチャーの担い手ではないのでしょうか。

厳しいことを言いましたが、私は伝統工芸や伝統文化が大好きです。

心の底から頑張ってほしいと思ったので、その方の言い分にひどい違和感を感じてしまった、というわけです。

若者の無関心を批判したり嘆いたって、何も変わらないんですよ。中にいる人達が変わっていかない限り、文化というものは。

45歳定年制と種籾を喰う日本の経営者

先日、サントリーHDの新浪剛史社長が「45歳定年制」を提唱して話題となっています。

ネット上の反応を見ると様々な意見があるようですが、日本人の大半をしめる使用者側の人達からすると、とんでもない意見だとする見方が多いようです。

私は40代で独立し、現在ではしがない個人事業主をやっています。なので私個人としては、大企業に所属している45歳が独立できる程度の力も蓄えていないのはいかがなものか、と思うところはあります。

大きい企業に所属するメリットは、「人脈を広げやすい」「大企業ならではの大きなプロジェクトを体験できる」「大企業の人間として見てもらえるので丁寧に扱ってもらえる」「独立後に前歴を活かしやすい」等いろいろあります。中小で働く人よりは独立する素地を鍛えやすいというのが、大企業に所属するメリットの一つではないかと私は考えています。

例えば、私はよく「人脈は金脈」という言葉を使っていますが、まさに大企業に所属しているということは、その金脈を広げるチャンスにあふれているといえるでしょう(もちろん、所属部署にもよりますが)。

そういう観点から言えば、45歳定年制もいいのではないかと思うのです。

ただ問題なのは、新浪氏の発言が、45歳定年制にアジャストした給与体系や人事体系を整備せずに、単に「45歳になったら会社から出ていってください」程度にしか聞こえなかったことです。

これではいくらなんでも、会社側に都合が良すぎます。

発言が物議を醸し出したあと、後付のようにミドルのキャリアプランがどうこうとか、ベンチャー企業への流動化を図りたいなどと言い出しましたが、本音としては給料が高くなるミドル以上の社員を人件費圧縮のために解雇したいという一心だったのではないでしょうか。


日本はかつて終身雇用を良しとし、その制度に基づいた人事給与体系がとられてきました。

すなわち、新卒時には給料は安く、在籍期間に応じて給与が高くなっていくという、いわゆる年功序列のシステムです。

ゆえに、これから給料が高くなるという40代以上は、企業の財政を圧迫することになります。しかし労働者側からすれば、これまで安く働いた分、40代以上でこれまでの苦労に見合った高給をもらわないと割に合わないということになってしまいます。

なので仮に45歳定年制を導入するなら、少なくとも初任給からして現在の30代程度の水準の給料を払う必要があると思うのですが、日本の経営者は、新卒なり中途採用の人間に高い給料を払いたいという気持ちをあまり持ちません。

なので45歳定年制は、どこまでも「年功序列システムを温存した」企業にとって都合が良く、後からキャリアパスがどうこうとか、ベンチャーに行って新たな生き方を、などと言っても、全部綺麗事にしか過ぎないのです。

しかし45歳定年制を提唱した新浪社長にしても、人事システムの見直しから始める気は毛頭ないでしょう。やりたいことは単なるコストカットなので、会社のシステムを一新するまでやらないのではないか、と私は思うわけです。


しかしサントリー以前にも、NECやパナソニックなどが40代の早期退職者を募ったり、ソニーが評価の低い社員を集めて朝から強制的な転職活動をさせるなど、40代以上の社員に対する「放逐」は始まっていました。

かつて会社はクラン(氏族)のようなもので、様々な年代の様々な人達が集まる場所でした。年長者は若者にスキルを教える役にまわり、会社全体の組織力をあげていたわけです。

しかしバブル崩壊後、どこからともなく現れた「人件費は悪」という風潮に流され、会社というクランは壊滅。リストラの嵐が吹き荒れ、熟練社員を追い出し、また若い人たちは雇い止めに遭い、不本意ながら非正規雇用に回らざるをえない状況となりました。

そして日本企業は、底力の源であった組織力を失ってしまいました。

人という資産を失った日本企業が転落の坂を転がり落ちるのは、それはもう早かった。

ただただ数字を見ることしかできなかった大企業の経営者たちは、一時は世界経済を席巻した大企業をことごとく衰退させ、21世紀に入りある程度経済が立ち直ってきたにも関わらず、リストラと事業縮小や売却でしか生き残ることができなかった。ひたすら会社を小さくすることで、生き残りを図ったわけです。

しかし社員も主要事業も売却し、会社だけ残して何になるというのでしょうか。


このような大企業の、自分の足を食べる蛸の如きふるまいを見て、優秀な学生たちはどう思うでしょうか。

きっと瀕死の老象が、プライドを失い、ただ生きるためだけにもがいてるように見えていることでしょう。

そもそも45歳以上の社員を追い出すような会社に、自分の将来を預けたいと思う学生がいるでしょうか?

新浪社長は「45歳定年制にすれば、社員たちは20代、30代で勉強するようになる」と言ってましたが、そんな優秀で向上心のある人材は、まず45歳定年制なんて馬鹿げた制度の会社を選ばないでしょう。

そうなれば社員の質は下がり、会社の業績はますます下がることになる。

「人件費は悪」と考える風潮の最も悪しき部分は、会社は人によって動いているという本質を度外視しているところだと私は思っています。

効率的かつ合理的な経営が推奨されて久しいですが、ゆえに数字上でしか経営を把握できなくなり、その数字の中に人がいるという感覚を忘れてしまった経営者が多くなったのでしょう。

そして大企業である傲慢さだけが先走り、45歳以上はいらないという放言をしてしまう。自分の会社は大企業だから、人を粗末に扱っても希望者はたくさんいるという感覚なのかもしれません。

しかし選ぶ方も人であり、自分を粗末にする会社は選ばないですし、年功序列制の都合のいいところだけ使って、自分を安く使おうとする会社は選ばないでしょう。

特に、いくらでも声がかかる優秀な若い人ならなおさらです。


はっきり言えば、この45歳定年制というものは、「未来を棒に振って食べる種籾のリゾット」なわけです。

この言葉は、今人気のソーシャルゲーム「ウマ娘 プリティダービー」のイベントで、ゴールドシップというキャラクターが言い放つセリフです。

元ネタは北斗の拳に出てくるミスミのじいさんです。

ミスミのじいさんは食糧難にあえぐ村のために、一週間なにも口にせず種籾を届けようとする人物なのですが、ケンシロウに「(種籾を)食べたらなくなってしまうが、種籾があれば毎年毎年米ができる」と語り、今より明日、未来の豊かさこそ大切と説くのです。

残念ながらミスミのじいさんは種籾を食べようとするシンの配下であるスペードに襲撃され、地面に散らばった種籾を見て「あ…明日が…明日が…」と印象的なセリフを呻くようにつぶやきます。

北斗の拳の舞台である世紀末の過酷さと人心の荒廃を見せつけつつも、それでも明日を諦めない人達がいるという印象深いエピソードです。

北斗の拳のスペードはケンによって倒されますが、ウマ娘のゴールドシップは種籾をリゾットにしてご満悦というわけです(笑)。

つまり、目前の利益と費用の圧縮ばかり考えている新浪社長の発想は、このゴールドシップの未来を棒に振って食べた種籾のリゾットと一緒なわけです。しかも奪った種籾を食べたゴールドシップとは違い、自社の蓄えを食べたのだから、なおたちが悪いといえるでしょう。

45歳定年制も、導入したときには45歳以上の高い人材を追い出せるからいいでしょうが、上にも書いたように、いずれこの会社の人事制度は否定的に思われ、優秀な若い人たちがこなくなり、やがては会社の衰退を招くことになるでしょう。会社の信用と組織力という種籾を、新浪社長は食べてしまったというわけです。

大企業だから黙ってても人が来る時代なんて、それこそベンチャーが勢いづく今にあっては、もはや幻想でしかありません。

もっとも、ここ30年近く種籾のリゾットを食べ続けたのが日本の大企業なので、今更という気もしますが、ついにここまで堕ちたのかとため息をつかざるを得ませんでした。

もっとも、新浪社長はサントリーの生え抜きというわけではなく、三菱商事からローソンへと渡り歩いている人物なので、サントリーの種籾のことより、自分の実績の方を大切にしているかもしれませんけどね。

次はその手柄をもって、より良い会社の社長の座に収まろうという腹かもしれません。


新浪社長は45歳で定年したら「ベンチャーに行け」と軽々しく言いますが、若い人が多いベンチャーが熟年者を中途採用するのは心理的障壁も高いものです。それこそ人件費に割ける予算も大企業ほど潤沢ではないでしょうし、大企業出身のプライドが高い、めんどくさそうな熟年者を雇うなら、同じお金で若くてスキルのある人を雇うはずです。

また再就職する熟年者側も、今更若い人の会社に入り、若い人たちに使われるのを良しとするでしょうか?

この新浪社長の発言、結局使えない熟年人材を新興企業に押し付けようとしているようにしか見えないんですよね。それで自分たちはフレッシュな人材だけを使い倒して会社の業績をあげたいと。

考えていることが邪悪すぎて笑いさえ出てしまいますが、こんな発言を日本を代表する酒造メーカーの社長が言ってしまうようになったのですね。もはや諦観しかありません。


TOKIOの「宙船」という歌に「おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールを任せるな」という歌詞があります。45歳以上の人間はいらないという社長は、まさに「おまえが消えて喜ぶ者」です。

大抵のリストラなんて経営陣の失策が原因なのです。自分の失策を社員にかぶせるような社長にオールを任せてはダメなのです(できれば会社のオール自体も任せたくないところですが)。

日本企業はこれからも衰退し、世界経済の中でプレゼンスを失っていきます。そんな中で、どの会社を選ぶのか、そして会社から追い出された時に生きていく力をどう身につけるのかは、これまで以上に必要になってくるものと思われます。

結局、最後に頼れるのは己の力だけです。日本経済の衰退を悲嘆しても我々は生きていかなければならないのです。

自分のオールを自分で漕げる力を身につけ、種籾を食べてしまう会社は選ばないようにして、賢くビジネスライフをサバイバルしていきましょう。

6年ぶりに中華鍋で炒飯を作りました

私はもともと料理が好きで、自宅に20種以上の鍋やフライパンがあるくらい、料理にハマっていたこともありました。

しかし、6年前に仕事のしすぎてメンタルを壊してしまい、以来全く料理ができないという状況になっていました。

そんな状況が変わったのはコロナによる自粛が始まってからです。

飲食店が行政の指示により夜の営業ができなくなったため、自炊せざるを得ない状況になってしまいました。

最初は冷凍食品や、スーパーのお惣菜など食べていたのですが、これらの料理は美味しくても味付けが濃いため、最初は美味しくてもだんだんと飽きてきます。味覚も刺激ですから、どんどん慣れてしまうわけです。

そんな自粛が断続的に一年も続いてきた結果、これまで全くやる気が起きなかった料理をしてみようという気持ちになってきました。

しかし体のリハビリと一緒で、いきなり最盛期のような凝った料理はできないので、簡単なところからはじめました。パスタや蕎麦を茹でるとか、料理とは言えないところからです。

そこからいろんな簡単な料理を経て、ようやく炒飯にたどり着きました。

その炒飯も、深めのテフロンフライパンを使って簡単に作っていたのですが、昨日ちくわぶ料理研究家の丸山昌代さんちくわぶの世界の著者でもあります)が美味しそうな自作炒飯の写真とともに、鉄のフライパンで作る必要性を主張されたツイートをしているのに感化され、久しぶりに中華鍋で炒飯を作ることにしました。

中華鍋は、料理に凝っていた時に購入した山田工業所の本格的なものです。

そして中華鍋の「熱さ」を活かすため、近所のスーパーでラードも購入。テフロンフライパンのときはごま油一択でしたが、丸山さんからの「両方使うと美味しい」とアドバイスを受け、真似して両方入れてみました。

ネギは蕎麦などの薬味用に売られている刻みネギ、肉はスーパーで本日特価で売られていた鶏チャーシューの切り落とし。味付けは北区が誇る調味料会社「あみ印」の炒飯の素です。

家庭用のガスコンロの火力には限りがあって、お店のようなパラパラ感までは難しいのですが、ラードと鍋の性能のおかげでそこそこ本格的な炒飯ができました!

たかが炒飯を作っただけの話なのですが、ここまでくるのに6年かかりました。
6年たって、ようやく中華鍋を使えるところまで回復したのです。

もう料理もしないしと、鍋たちを処分することも考えたのですが、料理ができるようになってくると、やはり料理は楽しく思えてきました。

どのみち自粛は続きますし、このまま料理を続けようと思います。今度は、以前みたいに叉焼から作ってみたいですね。


ところで、料理を面倒くさく思ってしまう原因の大半は、料理後の後片付けにあると思っています。

特にメンタルを壊してしまうと、仕事はおろか、家事や日常生活まで面倒くささを感じてしまうようになります。

私もメンタルを壊して6年たちますが、いまだ完治とは言えない状態です。料理ができなかったのもこのためです。

今回の自粛でやむにやまれない状況に追い込まれ、ようやく料理を再開することができたのですが、不思議とこれまでのような面倒さを感じず、以前のような楽しささえ覚えるようになってきました。

これは治療の成果でもあると思いますが、一番の理由は「食器洗い乾燥機」を購入したことです。

昨冬にアルコール消毒のせいで手が荒れてしまい、水仕事ができなくなったのが購入理由だったのですが、これのおかげで自炊に感じるめんどくささが驚くほど減りました。

何しろ、料理と食事が終わったら、シンクで食器を軽く流して食器洗い乾燥機に入れるだけで、食器がピカピカになります。むしろ洗い残しがないので、手で洗うよりもキレイになる印象。

以前から友人に購入を勧められていたのですが、まさかここまで便利だったとは。

「こだわらないで手を抜く」という行為は、社会復帰や再起のきっかけになるなと思いました。


「ちゃんとやろう」とするから面倒くさくなったり、うまく出来なかった時に落ち込んだりするわけです。

なら、面倒な手順をスキップできる手段を考え、機材などの導入などで「的確に手を抜く」ことで、何かを始める心理的障壁を下げることができます。これは料理に限った話ではありません。仕事もです。

日本人は精神論が好きなので「神は細部に宿る」とばかりに、目に見えないところにまで気を配りがちです。それは素晴らしい考えだと思いますが、本当に重要なのはアウトプットであり、細部にこだわっても結果が変わらないのなら、作業のダウンサイジングも必要だと私は考えます。

重要でない工程を省くことはヒューマンエラーを減らすことにもつながるので、本来症例されるべきことだと思うのですが、相変わらず精神論が横行し、後輩や部下いびりに修行と称して「不要な作業をやらせる」ことが続く不効率な日本社会では、「この手順いらなくない?」というとイヤな顔をされたり、評価さげられたりしがちです。

そういう効率の悪さが、あらゆる仕事のコストをあげ、メンタルを壊してしまった人の社会復帰などを阻んでいると理解されるといいなと改めて思った次第です。

効率のいい生き方をしたいものですね。

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