山芳製菓の主力商品である「わさビーフ」のリニューアルが、非常に話題となっていました。
わさビーフといえば1987年に発売されて以来、33年にわたり愛され続けてきたポテトチップス。ツーンとくる独特の味わいがくせになると、他のポテトチップスとは「ひと味違った」ポジションを獲得しているお菓子です。
私もファミコンやPC-88を遊びながら、わさビーフをつまんでいた記憶がありますし、今でも時折思い出したように食べています。
そんなわさビーフが9/1より新パッケージ、新フレーバーになってリニューアルされると発表されると、SNSを中心に動揺が走りました。
なんと、33年間わさビーフの顔として愛され続けてきたマスコットキャラクター、「わさっち(以前はわしゃビーフって名前だった記憶が…?)」がリストラされることになったのです。
しかも、なじみ深いわさっちに変わるのは、タレントのキングコング西野亮廣氏のデザイン(監修)による「わさぎゅ~」。さらに新フレーバーも、西野氏のサロンメンバーが協力して開発したということです。
このニュースを見て、私はすごくやりきれない気分になりました。
当然ですが、山芳製菓にはお菓子作りの熟練者が揃っているわけです。誇りをもってお客様に喜ばれるお菓子を作り続ける人たちがいるわけです。
そんな彼らを押しのけて、素人のサロンメンバーになぜ意見を求めたのか。
ニュースリリースを見ると、「どうやったらファンを増やせるか」という課題の元、西野氏のサロンメンバーとともに話し合ったとのことですが、それって必要なことでしょうか?
一般消費者の意見を聞くのはマーケットリサーチの手法として間違っていないのですが、それはあくまで売り方の話。プロダクトまで一般消費者に阿るのはあまり良いやり方とは私は思えません。
まして、わさビーフは山芳製菓の虎の子の商品。できれば素人の意見など聞かず、山芳製菓の熟練職人たちが自信を持って磨き上げた味にしてほしかった。
またマスコットキャラも、長年親しまれたキャラクターを押しのけて、キャラクターデザインのプロではない西野氏のデザインを採用する理由があったのでしょうか?
確かに西野氏は才能がある方かもしれませんし、話題の人物です。しかし、今現在の刹那的な話題性だけを重視して、今後30年と使い続けるかもしれないマスコットキャラクターを、山芳製菓ゆかりの人物でもなく、本職のデザイナーでもない人物に任せてしまっていいのでしょうか…?
「失われた20年」以来、自信を失い続けた日本のプロダクトは、プロの意見より市場の意見、つまりアマチュアの感覚を重宝する傾向にあるように思うことがあります。
それに応じるように、「お客様の意見を取り入れました」な商品が市場を席巻し、日本人特有の嫌儲思想からお客さん目線の商品が好まれるようになっていきました。
それが結果的に、悪貨が良貨を駆逐し、日本のプロダクトの質を下げる遠因になったのではないでしょうか。
プロの仕事よりもお客様(素人)のフィーリング重視なのだから、プロはプロとしての仕事を放棄するでしょうし、仮にプロとして様々な企画や仕様を盛り込んでも、素人感覚を重視する上層部に蹴られてしまうのだから、質のいい商品なんて生まれてくるはずがないのです。
本当のヒラメキは、蓄積された知識と経験、そして一つのことを考え続けるという執着から生まれてくると私は思っています。
しかし日本の商品開発の現場では、プロや業界の人間が視野狭窄に陥り、それを打破してくれる素人の意見、みたいな捉え方をされがちです。そんなに都合良く、素人が想定外のアイディアを持ってきてくれることなんてないのに…。
プロがプロとして尊敬されず、自信とプライドを失い続けたことが、日本経済低迷の原因なのは間違いないはずです。
これはプロダクトに限りません。様々な分野で見られる現象です。
デフレによりカネの回転が悪くなり、職人たちへの支払が下がり、場合によっては経験のない人間を使うようになり、プロを尊敬する気持ちが日本人から消えていったというのもあると思います。
プライドや仕事の質は、誰かから認められることによって担保されます。
認めるとは、報酬という具体的なものであったり、尊敬という目に見えないものであったりしますが、ともあれ仕事が認められるという承認欲求や自尊心が、プロ達の仕事を支えてきたのは間違いありません。
しかし日本は、プロの仕事よりもフィーリングやノリ、話題性を重視してしまい、なにか本質を失ってしまったような感じさえします。
今回のわさビーフのフレーバー・VI変更の件は、このような日本企業が抱え続けたいろいろな悪弊を凝縮しているように見えて切なくなったのです。
新しいわさビーフは明日発売です。私も食べてみることにします。