本日は八月九日。長崎原爆の日です。
八月六日の広島に続いて二発目の核爆弾が日本に落とされたのが75年前の今日。
歴史的には人類史上初の原爆投下となった広島のほうが注目されがちですが、長崎の被害も当然甚大でした。戦時中の出来事とはいえ大変悲惨な事であり、二度とこのような非人道な大量破壊兵器が人類の歴史の中で使われないことを祈るばかりです。
さて、その長崎の爆心地の付近に整備された長崎平和公園には、有名な「平和祈念像」が建てられています。
同公園のシンボルともいえる像ですが、この像を制作した彫刻家の北村西望氏は滝野川に住んでいたこともあり、北区になじみの深い方でした。初の名誉北区民でもあります。

そのような関係もあって、平和都市宣言五周年の際、長崎平和公園の平和祈念像が北とぴあに設置されました。1992年のことです。
もちろん、長崎のような巨大な像ではないのですが、北村氏の原型を元に、遺族や長崎市の協力を得て作られたものです。
私は東商に行ったり、コロナ以前はセミナーにもよく顔を出していたので北とぴあを訪れる機会も多いのですが、そのたびにこの像を見て、原爆というか、大量破壊ありきの総力戦の愚かしさを感じます。
新型コロナの蔓延を背景に世界がきな臭くなっています。各地で限定的な紛争が頻発しています。
確かに冷戦は終わりましたが、核兵器が世界から消えたわけではありません。むしろ北朝鮮、インドやパキスタンといった新興の核保有国が現れて、世界は新たな緊張に包まれています。
一方でソ連に代わって台頭した中国がアメリカとにらみ合い、西太平洋を中心に核保有大国同士の新たな緊張が生まれています。
仮に核兵器がなくなっても戦争や争いは消えることはないでしょう。しかし、人類自らを滅ぼすような、バカみたいな兵器を持って安全保障などと言う戯言をいつまで許すのだろうか、という疑念はあります。
特に中国や北朝鮮といった共産国は自国民を犠牲にしてまで核武装を行いました。なんのための国なのか。なんのための核なのか。
人類最後の世界大戦から3/4世紀が経ちましたが、人はそれほど賢くはなれていないようですね。とても残念です。

なんて思いながら、北とぴあの展望室で東京の街を眺めていたりする私でした。
かりそめでもいいから、この自堕落な平和がいつまでも続きますように。