アーカイブ: 2020年9月10日

乃木大将の武勲にあやかりたく、乃木神社で御朱印を頂いてきました。

先日の滝野川八幡神社で御朱印頂いたのに続き、今度は乃木神社で御朱印をいただいてきました。

本来、乃木神社に行くなら、真下にある乃木坂駅を使うのが一番早いのですが、今回は六本木の街にも用事があったので六本木駅で下車。

六本木界隈、10年以上前に楽天で働いていた頃にうろうろしていた場所で、私としてはとても懐かしく馴染みにある土地です。

しかし、店舗の顔ぶれは変わりました。六本木交差点のみのち庵が閉店していた事には驚きました。明治41年創業の老舗も、コロナ禍には勝てなかったようです。ついでにノジマもスギ薬局になっていました。

地価が高い土地柄で商機も高い反面、売上が下がると維持がつらいというのもあるのでしょうね。

六本木交差点のシンボルであり、待ち合わせ場所として有名なアマンドは相変わらず元気そうでした。

六本木時代に通っていたつるとんたんでうどんを食べ、ミッドタウンの前を通って乃木神社に向かいました。


乃木神社の祭神は、言うまでもなく乃木希典大将です。

乃木大将の評価は様々ですが、私個人としては日露戦争を勝利に導いた良将の一人だと思っております。

乃木大将は旅順攻略戦で多くの犠牲者を出したことにより、司馬遼太郎などに「愚将」と言われました。乃木大将も多くの将兵を死なせてしまったことを理由に自刃すると明治天皇に上奏したほどです。

辺境とは言えロシアは先進地域欧州の一角であり、明治維新を迎えたばかりの小国日本にとっては大敵です。国力でもテクノロジーでも優越できない状況での戦いは、我々が想像する以上に苦しいものだと考えます。

乃木大将が無策な突撃を繰り返して戦死者が増大した、という意見についても、欧州での要塞攻略ドクトリンも奇襲強襲が主流だった時代ですし、それ以外の規範を持てなかった、近代戦の経験が少ない日本軍を率いて善戦したと考える方が正しいと私は思います。

確かに第一回目の攻撃では大きな損害を出してしまいましたが、二回目以降は方針の修正を行った結果、ロシア軍の方が大きな被害が出ており、最終的には降伏に追い込んでいます。

確かに司馬遼太郎や乃木大将が言うように、多くの戦死者に対して言い訳ができないとは思いますが、乃木大将もいたずらに将兵を死に追いやったわけではありません。

乃木大将の人柄もあって、損害を被りながらも最後まで日本軍の士気は下がらなかったそうですし、捕虜となったロシアの将士を厚遇するなどして、欧州各国より叙勲されました。

後に学習院の院長を勤め、裕仁親王、後の昭和天皇の教育にも熱心であり、後の天皇になる裕仁親王のために教育環境構築に尽力した話も有名です。裕仁親王も乃木大将を大いに慕っていたといいます。

また乃木大将と言えば、明治天皇に殉じた事でも有名です。

確かに、当時の若い文化人や社会主義者が批判したように、乃木大将の生き様や考え方、教育方針は古くさいものだったかもしれませんが、私にはそれがむしろ魅力的で、武人であるかのように思えます。

そんな乃木大将の武勲や人柄にあやかりたいと思った次第です。

これからの混迷の時代を生き抜く力をご加護をいただければ、と思います。

ノーマリゼーションという綺麗事を使って人を殴らないでほしかった。

去る8月28日。約8年に渡り日本の国政を執り続けた安倍晋三首相が、健康上の理由にて辞意を表明しました。

リーマンショックと東日本大震災、福島第一原発事故によって混迷した社会と低迷した経済を立て直し、先進国・途上国を問わず積極的な外交により、経済力低下により存在感が薄くなった日本の国際的プレゼンスを浮上させた業績は賞賛に値します。

数年単位で入れ替わっていた日本の政権において史上最長の安定政権を運営できたのは、安倍首相の舵取りのうまさ、バランス感覚のたまものかと思います。

格差の解消やIT化の遅れなどの課題も残りましたが、それらは次期政権に託し、まずは十分お休みいただきたいところです。本当に、お疲れ様でした。

さて、この安倍首相の辞任表明に対してねぎらいの声があがる一方、一部の過激な「反安倍派」の方々が物々しい発言をして物議を醸し出しています。

私は安倍首相の手腕は賞賛しますが、当然全ての人がそうではない。歴史認識にせよ憲法問題にせよ、安倍首相とは考えを異にする人たちがいるのは当然ですし、日本は民主主義で独裁主義国家ではないのだから、各人がどのような意見を持つのも自由です。

ですので、安倍首相の辞任に際して喜びの声をあげるのは良いと思います。

しかし、安倍首相の持病である潰瘍性大腸炎を揶揄するような発言も目立つようになると、さすがに品位や道徳性を疑います。

ここではそれらの発言の詳細は触れません。ただその発言の中で使われていた「ノーマリゼーション」という言葉について、ちょっとお話したいと思います。

なお、ノーマリゼーションとは、障害者も健常者と同じく、ハンデを感じることなく生きられる社会を形成、支援を行おうという考え方、もしくはその事業や行為のことです。


私の父は筋ジストロフィーという病気でした。

筋ジストロフィーというのは、全身の筋肉が萎縮し、四肢や体表の筋肉からいずれは心臓等の筋肉まで衰えていくとい恐るべき病気で、現状でも根治する方法が見つかっていない難病です。

よく似た病気に、一時期著名人による氷バケツチャレンジや、先の参議院選で当選した舩後靖彦さんが患っているALSがあります。症状はほとんど外見的に見分けがつかないのですが、筋ジストロフィーには遺伝するという性質があります。

父は30代で発症しました。私が小学生の頃です。

父は見る見る腕や足の筋肉が衰え、体の動きが鈍るようになりました。
医者からは40歳まで生きられないかもしれないと言われていました。

しかし父の筋ジストロフィーは、一般的な筋ジストロフィーと違っていました。突然進行が遅くなったのです。

これにより、即座に死ぬようなことはなくなりました。しかし良いことばかりとは言えませんでした。
むしろ不自由な体を抱えて生き続けなければならなくなったのですから。

特に職場では苦労したようです。病気進行、特に体が動かなくなる恐怖と、思うよう体が動かない苛立ち、そして職場での憂さを晴らすように、お酒に逃げた時もありますし、何度か世をはかなんで自殺しようとしたりもしました。

その時、まだ子供だった私は、家族とはいえなんと無力なんだろうと思っていました。父の苦しみと恐怖は父にしか分かりません。家族でも、同情はできても共感と共有はできないのです。

その後父は、自ら心を強くするために宗教や様々なものを学び、また不自由な体でも会社から必要とされ、家族を養っていけるようにと、パソコンのスキルや、より上級な仕事をするために必要な資格を取りました。

結果から言えば、父は定年前まで勤め上げることができました。
その後は自宅で映画を見たりパソコンでゲームをしたりしながら過ごし、最期は大好きだった「艦これ」をやりながら心原性ショックで死にました。


筋ジストロフィーを発症してからの父の生は、楽なものではなかったはずです。歩くことさえままならない体を引きずって生きたのですから、苦行であったかもしれません。

しかし父は最後まで、自分の足で歩くことにこだわりました。

本来ならすでに限界を超え、車椅子で生活するべき状態でしたが、死ぬ前日まで自分の足で歩き、近所のショッピングモールで飼い猫のおやつを買いにいったそうです。

東京への通勤で使っていた東鷲宮駅は、特殊な成り立ちのため、宇都宮線の中で唯一、上下線が一階、二階のホームに分かれているという構造になっています。

このため、上り線に乗るには二階のホームに行かなければならないのですが、2010年まで東鷲宮駅にはエスカレーターもエレベーターもありませんでした。そのため父は階段で毎朝、杖をつきながら階段を上ってホームへあがっていました。

実家での用事を終え、帰京する際に父と一緒に電車に乗ったことがありましたが、東鷲宮の上りホームまで一度であがれず、二度、三度と階段の途中で休みながら、なんとか階段を登っていました。

東鷲宮駅は、父が定年した翌年、エレベーターとエスカレーターが設置されました。

おかげで父のような体の人であったり、足腰の弱ったお年寄り、ベビーカーを押している人、単に疲れている人、エレベーターに乗りたいだけの子供。
いろいろな人たちが、楽に二階の上りホームにあがることができるようになりました。

自分も40を過ぎたので、エスカレーターの存在は本当にありがたい。
父が東京に通っているころにできてくれれば、と思うこともありますが、それでもこうして、みんな父のような苦労をせずに済むのだから良かったと思います。

これが、本来のノーマリゼーションというものでしょう。

どんな事情の人でも、同じ恩恵を受けられるハンデの影響を受けない。こういう社会を、日本は先進国として目指していたのではないでしょうか。


しかし、とある安倍首相の退任に関して発言されたツイートでは、この「ノーマリゼーション」という言葉が、難病を患っている安倍首相に首相という重責を担わせた責任を、自民党に問う文脈で使われていました。

しかもご自身の「大事な時に体を壊す癖がある危機管理能力のない人物」と首相の病を揶揄した発言への言い訳として使われていたのです。

これは、身近な家族が障害で大変な思いをした身から言わせてもらえば、とても悲しい発言ですし、なにより国政に携わる人間の口からは言ってほしくない言葉でした。


本来ノーマリゼーションとは、父や安倍首相のようなハンデをお持ちの方が、苦労せずに生きられる社会を作るための考え方です。

安倍首相は、確かに日本の総理大臣として、決して弱者ではないかもしれません。

しかし、体のことは別です。まして、現代医学ではどうしようもない病気であるならなおさらです。

病気は、本人の責にあるものばかりではありません。父の筋ジストロフィーも、おそらく先天的なものでした。多くの難病患者は、このように自分のせいではない理由で、普通の人たちと同じように行動ができず、苦しい人生を歩んでいるいます。

それでも父のように、家族のためだったり、自分の夢のために歯を食いしばり、辛い治療に耐えて、多難な運命に挑戦し続ける人たちが、日本にはたくさんいるのです。

そんな人たちを、「ノーマリゼーション」という綺麗事を使って批判や言い逃れするようなマネだけはしてほしくないと、まして国作りを行う国民の代表である国会議員がしてほしくなかったと、難病患者の家族として言わせてほしかった次第です。

再起を願い、滝野川八幡神社で御朱印いただいてきました。

9月になりました。

今年の4月以降、コロナが理由で発注元の仕事がなくなって発注が次々とキャンセルされたり、業務上の対人トラブルを抱えたり、梅雨に入って梅雨鬱発症したりと、今年の上半期は本当にいいことがありませんでした。

コロナの影響もあって新規営業もできない中、持続化給付金などのおかげでなんとか食いつなぐことはできましたが、同時に少しダラダラしてしまったと今は大変猛省してます。

そんな、コロナを理由に堕落の一途を辿っていた私ですが、具体的な理由を書くのは避けますが、心を入れ直すきっかけができまして、月が変わったことを機に気合いを入れ直し、バリバリと働こうと思った次第です。

そこで、再起の第一歩として、近所にある滝野川八幡神社にお参りに行ってこようということになりました。

八幡神は、応神天皇を祭神とした神様で、武家の神様としても知られます。
鎌倉の鶴岡八幡宮は源氏の氏神、鎌倉武家の守護神として信仰を集めていました。

滝野川八幡神社は、鶴岡八幡宮とは比べるべくもない小さな八幡様ですが、滝野川は石橋山合戦で敗れた源頼朝が真鶴から安房へと逃れ、房総半島を北上、反平家の武家を集めながら武蔵に入り、数万の軍勢を率いて鎌倉に凱旋した途上にあり、その際に石神井川沿いにある現在の金剛寺付近に布陣したという言い伝えがあります。

滝野川八幡神社はその金剛寺からそれほど離れてないところに建っており、伝承に寄れば頼朝の勧請によって建立されたとのことです。

つまり、敗北した頼朝が再起をかけて留まった地に立てられた武家の神様ということで、これほど今の自分にふさわしい守護神はないな、と思った次第です。

というわけで、早速行ってみました。

あいにくの曇り空。写真があまり映えません(笑)。
9月に入っていきなり涼しくなりましたが、今年は月が変わるごとに気候のメリハリがつきすぎですね。

拝殿で再起の成功祈願と事業拡大をお祈りした後、社務所で御朱印をいただきます。

滝野川八幡神社の御朱印はユニークなことで知られており、特に1日と15日はさらにユニークな御朱印がもらえるとのこと。9月1日という日を狙って行ったのは、月の変わり目ということもあるのですが、このユニークな御朱印をいただくためです。

その御朱印が、こちら。

墨書が勝利のV(Victory)の字なんですね。モダンです! かっこいいです!
しかも1日と15日には、金墨汁で書いてもらえるのです。
なんと神々しいのでしょう! これで勝つる!

何か辛いときがあったら、この金の御朱印を見て、気合いを入れ直そうと思います。きっと八幡様の加護があることでしょう。

皆様もお近くにお寄りの際は、ぜひ滝野川八幡神社にお祈りしてください。

滝野川八幡神社の公式サイトはこちら。

https://bit.ly/3lLRNOY

今年のもるこができました。

なんのひねりもないタイトルで恐縮なのですが、今年のもるこの新イラストができました。

今年のもるこは「ぶいっ」がテーマです。

いつものもるこチーム内で話し合い、各所で使いやすそうということでこのポーズに決まりました。今後、私のYoutube動画のサムネやバナーなどで使っていきます。


もるこは、2014年1月26日に誕生しました。
当事運営していたプロジェクトのマスコットキャラクターとして作ったのですが、そのプロジェクトが早い段階でぽしゃってしまい、もるこの存在だけ宙ぶらりんになってしまいました。

そのまま使わなくなるのはもったいないということで、私がもらって今に至っているわけです。

その後、いろんなところで私の活動のマスコットキャラクターとして使用され、さらに去年はVtuberデビューしたというのはご存じの通りです。

今はVtuberのプロジェクトも終了し、私の零細ゲーム実況のマスコットアバター(≠Vtuber)として使っています。

今後どんな展開をするかは、実は全然考えていないのですが、今後も私と「てらどらいぶ」のマスコットキャラとして活躍させられれば、と思っています。


もるこのイラストは全体のコンセプトをチーム内で話し合った後、下絵担当がラフを作り、それを絵師さんに依頼して描いてもらっています。

容姿に関しては下絵担当にほぼお任せなので、もるこの容姿には彼のいろんな願望が詰まっています(笑)。

もるこが生まれて6年たつわけですが、当時はまだペーペーだった下絵担当は今では部門の経営管理のトップに立ち、役員からの指示を受けてビジネスをハンドリングする立場となりました。

一方私は会社を離れ、自分の好きな事を優先できる立場となりました。

しかしコロナが発生して見込んでいた仕事がキャンセルされたり、もくろみどおりにはなかなか事が進まず苦労していますが、新しいもるこも来たことだし、心機一転頑張ろうかな、という気持ちになっております。

そんなわけで、新しいもること「てらどらいぶ」を、引き続きよろしくお願いいたします。

©2019 てらどらいぶ