初級SNSマネージャー試験に合格しました!

表題の通りですが、初級SNSマネージャー試験に合格しました。
SNSマネージャーは、ウェブ解析士協会が認定する、SNS運用に関する知識やスキルの習得を証明する民間資格となります。

すでにTwitter歴12年弱、Facebook歴も10年ほどの私。それなりにSNSのことは詳しいつもりではありますが、その知識やスキルを証明する手段がないので、今回初級SNSマネージャー講座(試験)を受けるに至りました。

きっかけは、某広告代理店よりSNS戦略に詳しい人を紹介してほしいとの相談を受けた際、自分の実績を話した上で営業した際、相手もSNSプロモーションを始めWeb展開についてあまり詳しい方ではなく、あれこれ説明したもののいまいち信用されなかったためです。

当然ですが、個人の権限で自由に投稿できるアカウント以外の運用をしている証明は難しいのです。勝手にその場からクライアントに許可を得ていない投稿はできないですし。
特にSNSの運用が今ひとつ分かっていない方、特にアナログに軸足を置いている広告代理店の方などには説明が難しいところがあります。専門用語なども分からないですし、その方自身がSNSに興味がないとなるとどうにもなりません。

今回の資格取得は、そのような方向けの説明を容易にし、営業の効率化を図る目的がありました。
もっとも、「初級」では大した自慢にもなりません。最終的には上級SNSマネージャーの資格を取得する予定なのですが、そのためにはまず初級SNSマネージャーの資格を得ないといけません。

一足飛びに上級SNSマネージャーになれないため、まずは初級…という段階です。年内の早い段階で、上級に上がる予定ですので、ただいまさらなる勉強中です。

初級SNSマネージャー講座に申し込むと、約400Pに及ぶテキスト(PDF)が送られてきます。
このテキストだけでも情報量が凄まじく、しかもSNSがよく分かっていない方向けに書かれているので、例えばInstagramだけしか詳しくない方でも、読めば他の主たるSNSの情報や運用方法等が学べます。

講座から試験までは10日ほどの猶予があるのですが、またテキストを読み切れていないので、これからさらに読み込んでいきます。

もちろん、SNSマネージャーの資格がなくてもSNSの運用は誰でもできるのですが、一つの指標として信用できるものですし、目標があると勉強も捗るので、いい機会になるのでは?と思っております。

上級SNSマネージャーの資格を取得した際は、またお知らせいたします。


最近のSNSプロモーションは、キャンペーンやインスタントウィンなど、フラッシュ的な誘客手法が主となっています。

しかし、プレゼント目的でフォローしたフォロワーが、その後もフォロー企業の投稿を関心持って見るでしょうか?

プレゼント企画でフォロワーを集める方法が無駄とは言いませんが、最近はフォロワー増加数だけをKPIに定めているのか、キャンペーン後は投稿を怠り、フォロワーを「楽しませない」大手企業アカウントも多く見られます。

なぜSNSを使ってプロモーションを行うのか、目的自体がブレているとこのような状況になりがちです。個人のインフルエンサーならさておき、企業アカウントはフォロワー数の増加はKGIにはなりません。

このあたりも含めて、てらどらいぶでは地金を鍛えてSNS力(ちから)を高め、認知と売上の向上につながるSNS運営をお手伝いします。

「SNSプロモーションに挑戦したいけど、キャンペーンをするお金もないし…」という方向けの低予算プランのご相談にも乗りますので、お問い合わせはお気軽に。

ご相談のお問い合わせはこちらからどうぞ。

SNSでイキるITベンチャーの若者に思うこと

先程Twitterを見ていて、最近CMでもおなじみのベンチャー企業の人事部の人が、採用面接に来た人をバカにするような発言をしていて、大変モヤッとした気持ちになりました。

面接に来たということは、自社に少なからず興味を持ってくれたこと。一般消費者よりも自社に親しい気持ちを持っている人間に対し、面接に来てくれたお礼を言うならともかく、バカにする発言をするとは。

その会社を受け、今後をお祈りされてしまった人は、そのツイートを見てどう思うでしょうね。

その程度のことも頭が回らず、まるで己の「人の審美眼」を誇るような発言をしてしまうことに、人間性の幼さを感じてしまいました。

IT系の若者がイキるというか、自身に大して果てしない有能感を持つのは理由があります。

一つは先進的な成長産業にいること、一つは社会人としての経験が少なく視野が狭いことです。

個人的には一口にITと言っても、Windows95発売やIT革命と騒がれてからもう20余年も経っているので、どれもこれも先進的とはいい難いと思っているのですが(しかも組み込みやシステム構築を含めたらその比ではない)、やはりITはどの分野の仕事よりも新しいという見方がされます。

それは事実でしょうし、同時にIT企業で働く人のアイデンティティになっているとも思われます。

しかし一方で陳腐化が進んでいることも事実であり、働く部署の人によっては他社企業と大きく変わらないものもあります。

例えば、人事部などがそうです。

もちろん、その会社の理念や業務をする上で必要なスキルがあり、求める人物像は各企業とも違うでしょうし、給料体系や昇進基準も各社違うので、一様に同じ仕事をしているとはいい難いでしょうが、ヒューマンリソースの業務に関わるという基本的な仕事はそれほど変わらないはずです。

でも、IT業界という先進的な業界にいることで万能感が炸裂してしまい、SNSで言わなくてもいいことをイキって言ってしまうのです。

少なくとも人事は会社のコアを司る業務であり、経理部について秘匿すべき情報を握っている部署でもあります。社員や応募者の個人情報を多く扱っています部署でもありますし。

その人事に携わる人間が、軽率に面接を受けに来た人を小馬鹿にしてみたり、面接に受けに来た変わった人をべらべらと面白おかしくしゃべる現状はどうでしょうか。

少なくとも私は、そんな会社に対する信用はもてません。人事の人間からしてこれなのだから、何をしゃべるか分からないという警戒感が先にきてしまいます。

しかし、自分の優秀さをアピールし、承認の共感を得たいがために、彼らは下手をすれば信用に関わる発言をペロっと言ってしまうのです。

でも、これを責めるのは酷だなとは個人的に思うところもあります。

それが2つ目の理由につながるのですが、このような軽率な行動に走らせる万能感の源泉というものは、単にその人の経験の無さからくるものです。

若者が怖いもの知らずなのは、自分よりも強い相手を知らないか、その強者が甘やかしてくれたかのいずれかです。

社会の恐ろしさと人材や才能の厚みを思い知り、自分の分をわきまえるのは、若いうちでは難しいことです。

特に新卒で大手企業に就職し、成功体験を重ね続けてきた人にはより難しいでしょう。

成功体験は本当に大切なものですが、同時に仕事における挫折というか、限界を知ることはより大切なことです。

限界を知ることで、それを乗り越えるために激しい努力をし、学び、あがき、スキルと実力を身に着けて限界の壁をよじ登る。この体験を繰り返していかなければ、本当の意味での成長はありません。

SNSなどでよく見かける「学び」や「気づき」という言葉が私は嫌いなのです。
これらの言葉を多用する人たちの共通点として、日常生活にある何かに気づいて、学んだ気になり、成長した気になっていることが挙げられます。

しかし、そんな気づきは学びにはならないのです。本当の学びは、死ぬほど本を読み、試行錯誤し、泥臭い努力の中で掴み取るものだと私は思います。

スマートに気づきを学びに変え、スキルや実績に転換できる人も中にはいますが、そんな天才は一握りです。一般人の我々は、気づいたとしたら、そこから派生する様々な要素に知的好奇心を働かせ、徹底的に分析し、本当の学びに変える必要があるのです。

…と、かっこいい事を言ってみたものの、この必要性に実感したのは、実はここ数年の話です。

元より読書は好きですし、好奇心が強い方だったので、学んだり調べたりは常日頃やってはいましたが、数年前の私も日常生活の気づき一つで学んだ気になってた「意識高い系」の一人でした。

当時の私は、自分では多くの経験を積み、いくつもの成功体験を重ね、展望もあるつもりでいましたが、あることがきっかけで様々な事を学び、その頃の自分がいかに無学で根拠のない自信にあふれていたのかということを思い知りました。

その時思ったのが、「自分には単純に経験や挫折が足りなかった」ということでした。

それから一層の勉強を重ね、様々なことに思いを巡らせ、自分の思考に落とし込むまで考え抜くことを自らに課すようになりました。

同時に、上記のようなIT系でイキる若者を見ると過去の自分を見ているようで、彼らがなぜあのような万能感あふれる軽率な発言をするのか、それこそ手にとるように分かってしまうんですよね。

仕方ないのです。

20代の若者と40代のおじさんでは、人生経験の長さも違うし体験の量も当然差があります。20代では経験しきれないものを、40代のおじさんは持っている。長く生きているのだから当たり前です。

なので40代のおじさんは、彼らを笑うのではなく、若者がよりよい人生を送れるように手を差し伸べたりしてあげるべきなのかもしれないと、最近は思うようになりました。

自分としては、この社会経験や知識を若者のために使える機会があればな、といつも思っています。

時折Youtubeで、この手の仕事の話もしているので、興味があったら聞きにきてください。

余談ですが、時折「あの時苦難を味わうことのなかった自分」の延長上にいるような同年代の人に会うことがあります。40代後半になってもイキり倒して周囲を小馬鹿にした発言をするおじさんなのですが、こういう人を見て思うのは「自分はこうならなくてよかった」というその一言です。

若いうちの失敗はいくらやっても取り返しがつきます。どんどん痛い目見てください。でないと、40過ぎてこういう「痛いおじさん」になりますからね(笑)

解約が難しいサブスクに思うこと

昨日の読売新聞オンラインで、サブスク解約についてのニュースが掲載されていました。

サブスク「契約は容易なのに解約は困難」…解約方法の分かりやすい表示、努力義務に(読売新聞)

最近のサブスクブームに伴い、解約や退会に関するトラブルが増えてきたことを受けて、ついに政府が動き出したという形です。

でも、かつて携帯キャリアの「公式サイト」に携わってた私からすれば、それこそ「10年遅い」と言わざるを得ない話でもあります。

すでに「今は昔」の話なので、公式サイトとは何か説明しますと、携帯電話でネットをする場合、キャリアが提供するポータルサイトがホームページとして表示される仕組みでした。

このポータルサイトに掲載されるには、各キャリアから公式サイトとして承認を得る必要がありました。また、キャリア決済で月額利用料やコンテンツ販売ができるのも公式サイトのみでしたので、携帯電話でインターネットビジネスをするには公式サイト承認がマストであり、そのために各事業者はキャリアからの苛烈な要望に応え、なんとか承認をいただくという大変な時代があったのです。

実は私は、楽天の前にはゲーム会社に勤めていまして、携帯電話向けのゲームサイトを運営に携わっていたこともありました。楽天時代もモバイル事業だったので、10年以上この「キャリア公式サイト」のビジネスに従事していたことになります。

さて、この公式サイトはほとんどが月額制という、今のサブスクと変わらない収益モデルを採用していました。ゲームサイトの場合、月300円で遊び放題とか、着メロサイト(なんだか懐かしいですね)なら月300円で取り放題などです。

月額制でユーザーを集めるには、当然毎月それだけのお金を払ってもいいと思えるようなコンテンツを確保しないといけないので、一見売り切りよりも収益性が低くなるように思えます。

しかしこの月額制は、「入会したままサイトも利用せず、そのまま解約を忘れるユーザー」、業界用語では眠り会員と呼ばれるユーザーが集まると、安定して収益を出せるという大きなメリットがありました。

そのため、各サービスはいかにこの眠り会員を集めるかに躍起になっていました。キャリアに下げたくもない頭をさげ、大きな広告費を投じて集めたユーザーに逃げられてはたまらないので、各サービスは「(退会することに気づいたユーザーを)いかに解約を困難にするか」という方法に血道をあげていました。

解約するためのリンクがなかなか見つからないのは当たり前、ようやく見つけた解約リンクを叩いてみれば、何度もループする複雑な遷移を乗り越え、いくつもの長文のアンケートを書かないと退会できない仕組みが待ち構えていました。

このような極悪な解約防止策は当然ユーザーからの不満を買いましたが、公式サイトを公認するキャリアにしても、公式サイトの売上からあがりを徴収できるビジネスモデルであったため、積極的な規制に動くことはありませんでした。

こうして「入るは簡単だけど出るのが難しい」と、アメリカの大学みたいな公式サイトが乱立したわけですが、太平洋を渡ってきた黒船たるiPhoneが発売されると、これまでこの世の春を謳歌していた携帯電話はガラケーなどと呼ばれるようになり、ガラケーを作っていた家電メーカーは携帯電話開発から次々と撤退し、公式サイトも消え去ることとなりました。

当たり前のことですが、誰もがこの阿漕な公式サイトのやり方に、少なからず不満を持っていたのでしょう。

こうして平和な時代が10年ほど続いたころ、再度黒船の来週により「サブスク」なる概念が持ち込まれ、かつての悪しき「退会できない」サービスの時代が再来することになってしまいました。

そこで今回の努力義務となったわけですが、長らくこの手のサブスクビジネスをやってきた身からすれば、今更退会をしづらいようにすることそのものがナンセンスだと思うのです。

ガラケー時代とは違い、今はSNSがあります。意地悪な退会手段を使うサイトは、その不快感を容易にネットで晒される時代です。一人の客を逃したくないために妨害に妨害に重ねた結果、数千人の人間に悪辣な手段を暴露されるというリスクがあるわけで、悪事千里を走るではありませんが、たかが退会の方法一つで多くの潜在ユーザーを失う結果になりかねません。

特に日本人は保守的で慎重なので、特に高額なサービスほど事前情報をできるだけ集め、慎重に入会を検討します。そこで「退会しづらい」というケチがつけば、それだけで客を逃す危険があるのです。

実際、私が所属していた会社では、ユーザーサポートの電話の多くが「退会できない」というクレームと退会方法を尋ねるものでした。

これは、当時勤めてた会社の社長が「退会方法が分からなければ、ユーザーは退会しない。退会リンクを隠せ。なんならなくしてもいい」と平然と言ってたくらいなので、このようなクレームが絶えなかったのです。

社員のほとんどが、その社長の方針に不快感を抱いてたわけですが、中の人間でもそうなら、ユーザーはなおさら不快に思うわけです。その頃はようやくTwitterが日本に上陸し、アーリーアダプターのおもちゃになっていた時代なので、その不快感がシェアされることはありませんでした。

しかし今は下手にバズればメディアに取り上げられたりして大きく拡散してしまうリスクすらあります。

そんな中で、退会リンクを隠す、リンク先でも様々な妨害を行うなどやるのは下策に過ぎないのです。

せいぜい、今後のサービス運用の参考として、退会理由などをラジオボタンで選択させるにとどめ、気持ちよく送り出したほうが、次の再利用を促せるかもしれません。

サブスクブームになって、公式サイト時代の夢よもう一度、と思っている事業者もいるかもしれません。しかし、今は有料サービスばかりではなく、基本無料で質の高いサービスを提供する事業者も多いです。

キャリアに守られ、護送船団で好き放題ユーザーの退会を妨害できた時代とは違うのです。価値観をアップデートできなければ、今後は生き残ることは難しいのではないでしょうか?


ネットビジネスを取り巻く状況として、今はいい意味でユーザーがわがままになっています。
質の低いビジネスは駆逐されますし、どれだけ良いサービスを提供しても、退会フォーム一つでケチがつき、そこからほころびが生じることもあります。

一つのサービスで不快感を持ったユーザーが、その会社のサービス全てにヘイトを持つということも少なくありません。

神は細部に宿るといいます。

そして退会フォームは細部と言うほど、小さな部分ではありません。辞めるユーザーにも最後に最高のもてなしを行い、会社全体の評判を高めるということも、大切なのでしょうか?

あけましておめでとうございます(2022年)

新年、あけましておめでとうございます。

去年はコロナの影響などがあってままならない一年でした。


私も融資を受けたはいいものの、予定していたレトロゲームおでん屋が開業できなかったり、いろいろな会社とのコラボなどが流れてしまったりと、少し困った状況となってしまいました。

不況とコロボを言い訳に、少しのんびりしすぎた部分もありました。
今年はそのような反省と、飛躍の年にしたいということで、新年の目標を立てました。

①プログラムを再履修する。特にPythonとUnityを学んで、何かしらアプリケーションを作る。
②Web関連の勉強の証として、ウェブ解析士以外の資格を取る。
③去年から計画していた「電脳おでん村正(レトロゲーム店)」を開店する

その他にも様々な目標があるのですが、主にこの3つの主目的に紐付いたものなので、ここでは一つづつ名言するのはやめておきます。

去年までは、これまでの人生の「習性(ならいしょう)」で生きてきて、なおかつ仕事をしている感じでした。

ITやWebの世界は日進月歩なので、常に新しい情報を仕入れ、日々の学習を怠っていないつもりでしたが、そのインプットに対しアウトプットが全くできていなかったように思います。

なので「できることをやっている」という仕事ぶりとなってしまい、その意識の低さが人生の質にもつながってしまったのかな、と思った次第です。

そのような状況から脱却するため、今回は収益目標とは別に、自分のビヘイビアに対する目標を新たに設け、プログラミングと資格習得を目指すことにしました。

プログラミングについては、実に楽天時代から7年のブランクがあります。しかもPythonもUnityも初めて触るので、うまくできるか不安ですが、それなりに楽しみであったりもします。

お店の計画については、実店舗に加え、Unityで学んだ知識を活かし、VR空間におでん屋を作るというプランも考えております。

このアイディアは、年末にVR空間内に「バーチャル秋葉原」を作るという記事を読んだからなのですが、デザインが最近のアニメらしいありきなりなサイバーパンクで、しかも「秋葉原である必要性を感じられない」ものでした。

秋葉原という街はサイバーでアニメチックかもしれませんが、秋葉原のサイバー文化はBit-INNができて以降40年の重厚な歴史があるわけで、そういう歴史や文化をオミットして、ただ今の流行りでAR電光掲示板みたいなフォントをビルに貼り付ければいいってものではないと思うんです。

もちろん、このデザインがいいという人が多いから、このデザインが通って今年オープンするという流れなのでしょう。なのでデザインを悪く言うつもりはないです。私好みではないというだけであって。

なら、自分でもなにか作ってみようかな、と思ったのがUnityに手を出すきっかけです。

もちろん、プロのデザイナーが参画するバーチャル秋葉原のような立派なものは無理ですが、自分の理想とする「バーチャルおでん屋」を作ってみようと思うのです。

その学びから、いろいろなスキルやアイディアが得られればいいなと考えています。

今年の初詣も、王子神社にしました。今年で建立700年だそうです。

いつもお守り類は買わないのですが、今年こそ!という気持ちを込めて、商売繁盛のかわいいお守りを買いました。
ご利益があれば嬉しいです。

このようなわけで、今年もてらどらいぶをよろしくお願いいたします。

2021年をふりかえって

今年は、てらどらいぶ…というか、私にとっては大変な一年でした。

コロナのこともあり、世間一般的におそらく大変な年だったとは思いますが、うちも例外ではなかったということですね。

去年末から進めていたレトロゲームおでん店の計画は緊急事態宣言によって延期を余儀なくされ、借り入れた融資も塩漬けとなった挙げ句、何も生み出さないまま外注費の支払いにまわっていくという、残念な流れとなってしまいました。

今年は私が住んでいる北区にとっては、まさにボーナスステージの年でした。

大河ドラマで地元の偉人である渋沢栄一翁が主役となり、また渋沢栄一翁が新一万円札になるということで、北区としてもシティプロモーションの絶好の機会でした。

飛鳥山博物館に23区内初の大河ドラマ館ができ、区内には渋沢栄一のキャラクターをあしらったコミュニティバスが走り、都内で唯一北区内だけ併用軌道を走る都電荒川線にも北区と渋沢栄一翁のラッピングが施された車両があったわけですが、長期に渡る緊急事態宣言のせいで博物館は閉館を余儀なくされ、当初の目論見通りの誘客はできなかったと思います。

また今年はオリンピックイヤーで、インバウンドも見込めたはずでしたが、開催自体はしたもののコロナ対策での無観客開催となり、結果観光効果は望めず、ホスト国としての義務は果たせた程度の事で終わってしまいました。

うちのおでん屋も、このようなビッグウェーブに合わせて開店すべく、各所と調整をしてきたのですが、開店準備がはじまるところで緊急事態宣言が発令となり、有識者のアドバイスに従い計画を延期する、という苦渋の選択を余儀なくされたというわけです。

でも、この判断は正しかったと思います。飲食店、特に酒類を提供する店にとって、今年は本当に大変だったそうですし、店を開いていたら半年と持たなかったかもしれません。


疫病は天災なので、誰が悪いという話ではありません。

政府も都も、できる限りのことはやったと思います。みんなが苦しい中で国民も耐え忍んだ一年でしたが、その経済的影響は今後も大きく響いてくるのだろうな、というのが率直な感想です。

とはいえ、いつまでもコロナを理由にしょんぼりしているわけにはいきません。

この大晦日で今年の厄を払い、来年は希望にあふれた一年にできれば、と思います。

みなさんの来年の幸福をお祈りいたします。私は僧侶ではありませんが(笑)(飛鳥山の青淵文庫にて)

ウェブ解析士資格維持試験に合格

今年も無事、ウェブ解析士の資格継続のための試験に合格しました!

ウェブ解析士はその資格を維持するため、年に一度試験を受けなければいけません。
正直、ネットの仕事をしていればそこまで難しい試験ではないのですが、これが年に一度あるというだけで勉強するきっかけになります。

ウェブ解析の世界は日進月歩。いつの間にか新しいスキームが生まれたり、ビジネスメソッドが生み出されたりすることも珍しくありません。

なので、年に一回の勉強だけで追いつけるわけがなく、日々仕事の合間にWebの話題や新しいビジネスについての情報を仕入れ続けなければいけません。これはどんな仕事でも一緒でしょうが、Webはとにかく新陳代謝が早いため、少しでものんびりしていると置いていかれてしまいます。

ウェブ上のビジネスは、いわば無制限で互いの知恵とセンスで競い合うラリーのようなもの。

実際のラリー同様、上り坂や悪路をどう駆け抜けるのか、それは経験と知識がものを言う局面も多いです。

ドライバーの力量が走り込みに比例するように、ウェブ解析士の実力も実践や毎日の勉強がものを言うと思ってます。

数年前からウェブばかりではなく、SNS対策や動画プラットフォームでの施策も要求されるようになってきました。

ウェブサービスやプラットフォームが増えれば増えるほど、マーケティング施策は幅広くできる一方、その手段の多さに比例して知識も必要となってきます。

自分も常に最先端のウェブ知識を取り込むべく、ネットばかりではなく書籍やセミナーで研鑽を続けていますし、話題のサービスは一度使ってみるようにしています。

こうした日々の修練の結果、お客様に満足していただけるコンサルティングができるものだと思っております。

特にコンテンツ関連のマーケティングやUIUXデザインについては自信がありますので、ぜひ一度、お気軽にお問い合わせください。

ハイカルチャーの衰退は自分の尾を喰らう蛇のごとく

先日、あるレトロゲームの実況配信をしていまして、そこで出てきたある伝統工芸が危機にあるという、あまりゲームとは関係のない余談で盛り上がりました。

その伝統工芸に限らず、日本各地の様々な伝統工芸や伝統文化の多くが、直近ではなくてもユーザー数や担い手の減少で尻すぼみになりつつあるという問題を抱えています。

そんな中で、あるコンテンツを見ていたのですが、そこに出演されていた伝統文化の方が、「今の若者は」というありがちな言い方で、伝統文化に関心を寄せない日本の若者に対して遠回しな苦言を言っていました。

さらに他国の若者の方が日本の文化に関心があるなどと言い出し、この言い方はどうなのかなと、すでに若者の範疇は外れた私ですが、ちょっと眉を潜めてしまいました。

そもそもなんですが、「今の若者は文化レベルが低い」みたいな言い方をハイカルチャー側の人達が言えば、若者は当然反発するでしょう。

文化といっても千差万別ですし、ハイカルチャーばかりが文化ではありません。まして平和で豊かな日本は文化の多様性も多く、様々なサブカルチャーが花開く国です。

ハイカルチャーなどと気取ってみても、別に人生にあってもなくてもいいものだし、趣味を楽しむ時間があるなら、若者をいちいちバカにする年寄りがいる分野より、同年代の同好の士が集まる趣味や文化の方を楽しむのは当然と言えます。

どのような文化がよくて、どの文化が悪いなんて、社会的地位や文化レベルが高いと自称する人にだって、決めることはできないのです。

決めるのはその文化に触れて楽しむ個々人であり、ユーザーが増えた文化が栄えるのは当然だと言えます。高尚だから、歴史があるかというだけで、マウンティングできるほど「文化」の世界は甘くはないのです。


多くの伝統文化や伝統工芸の需要が低下し、中には補助金なしではなりたたないもの、後継者がいなくて途絶えそうなものすらありますが、文化の担い手や顧客となるはずだった若者を、あなたたちはどう扱ってきたのかと問いただしたい。

自分たちの文化や作品を理解しない若者をバカにして、理解し、理解してもらおうという努力もしなかったような人も、少なくないのではないでしょうか。もしくは文化の変化を恐れるあまり、若者に寄り添おうとするものを批判したり叩いた古参のユーザーもいたかもしれません。

仮に口にはしなかったとしても、無理解な人間を見下すような態度や気配は、相手の心情を察するのが得意な今の「空気が読める」若者にはわかってしまうのです。

はっきり言ってしまえば「若者を侮らないでほしい」と思うのです。

私はサブカルチャー側の人間なので、ハイカルチャーの人間が「こちら側」をバカにしてくる局面を何度も見てきました。

例えば、実写映画畑の人間が、アニメを下衆なものバカにしたり。

実写映画とアニメの誕生の差はたかだか20~30年で、映画のほうが歴史がある、と決して言い切れるものではありません。この30年の差は双方の歴史が長くなれば結局は誤差にすぎなくなるわけで、実写の人たちがアニメを新参扱いしてバカにするのは、やはり違和感があるわけです。

でも、映画だって最初は芸術だと認められないで、先人が多くの傑作を作ることで生き残ってきたわけです。今、アニメをバカにしている映画関係者は、その延長上にいるに過ぎないのです。

音楽だってそうです。クラシックが主流だったところ、ニューミュージックやロック、テクノなどが生まれ、今では様々な音楽がいろいろな人達に楽しまれています。しかし、革新的すぎたり、好むユーザーの問題で生まれが不幸だったジャンルも多くあったわけです。

多くの文化は、大衆の手で揺籃されて大きく盛り上がり、1ジャンルとして確立されていくわけですが、そのスパンが何百年と続くといつの間にか金持ちだけの道楽に「堕落」し、庶民の関心を失い、ゆえに趣味を認めない人たちは下衆だのなんだとのハイカルチャー側の人間がバカにする構図ができあがってしまうのです。

大衆の関心を失い、滅びそうな文化を資産家がパトロンとして支え続けてきたので、結果ユーザーが金持ちしか残らなかったとも言えるのですが、そのような状況を「大成」というのは非常に違和感があるし、サブカルチャーを生業にしている私としては、なぜもっと早く大衆に歩み寄れなかったのかなとも思ってしまうわけです。


そのコンテンツの中でその人は「今後は海外に活路を見出していきます。海外では今、日本の伝統文化が非常に注目されているんですよ」と言っていました。

海外で日本の伝統文化が注目されるのは、私達が海外の文化に興味を抱くように、自分たちの生活の中にはないものがあるから、珍しいと思ってしまうからです。決して高尚だからとか、文化レベルが高いからとかではありません。

そのハイカルチャーと同じくらい、日本のゲームやアニメだって注目されているはずです(こちらは珍しいから、ではありませんが)。

国内の市場開拓を諦めて、簡単に売り込める海外勢を相手にしてしまうのは、個人としては逃げではないかと思うのです。若者を取り込み、新たな担い手を増やし、中興を目指し伝統を紡ぐことこそ、伝統のハイカルチャーの担い手ではないのでしょうか。

厳しいことを言いましたが、私は伝統工芸や伝統文化が大好きです。

心の底から頑張ってほしいと思ったので、その方の言い分にひどい違和感を感じてしまった、というわけです。

若者の無関心を批判したり嘆いたって、何も変わらないんですよ。中にいる人達が変わっていかない限り、文化というものは。

45歳定年制と種籾を喰う日本の経営者

先日、サントリーHDの新浪剛史社長が「45歳定年制」を提唱して話題となっています。

ネット上の反応を見ると様々な意見があるようですが、日本人の大半をしめる使用者側の人達からすると、とんでもない意見だとする見方が多いようです。

私は40代で独立し、現在ではしがない個人事業主をやっています。なので私個人としては、大企業に所属している45歳が独立できる程度の力も蓄えていないのはいかがなものか、と思うところはあります。

大きい企業に所属するメリットは、「人脈を広げやすい」「大企業ならではの大きなプロジェクトを体験できる」「大企業の人間として見てもらえるので丁寧に扱ってもらえる」「独立後に前歴を活かしやすい」等いろいろあります。中小で働く人よりは独立する素地を鍛えやすいというのが、大企業に所属するメリットの一つではないかと私は考えています。

例えば、私はよく「人脈は金脈」という言葉を使っていますが、まさに大企業に所属しているということは、その金脈を広げるチャンスにあふれているといえるでしょう(もちろん、所属部署にもよりますが)。

そういう観点から言えば、45歳定年制もいいのではないかと思うのです。

ただ問題なのは、新浪氏の発言が、45歳定年制にアジャストした給与体系や人事体系を整備せずに、単に「45歳になったら会社から出ていってください」程度にしか聞こえなかったことです。

これではいくらなんでも、会社側に都合が良すぎます。

発言が物議を醸し出したあと、後付のようにミドルのキャリアプランがどうこうとか、ベンチャー企業への流動化を図りたいなどと言い出しましたが、本音としては給料が高くなるミドル以上の社員を人件費圧縮のために解雇したいという一心だったのではないでしょうか。


日本はかつて終身雇用を良しとし、その制度に基づいた人事給与体系がとられてきました。

すなわち、新卒時には給料は安く、在籍期間に応じて給与が高くなっていくという、いわゆる年功序列のシステムです。

ゆえに、これから給料が高くなるという40代以上は、企業の財政を圧迫することになります。しかし労働者側からすれば、これまで安く働いた分、40代以上でこれまでの苦労に見合った高給をもらわないと割に合わないということになってしまいます。

なので仮に45歳定年制を導入するなら、少なくとも初任給からして現在の30代程度の水準の給料を払う必要があると思うのですが、日本の経営者は、新卒なり中途採用の人間に高い給料を払いたいという気持ちをあまり持ちません。

なので45歳定年制は、どこまでも「年功序列システムを温存した」企業にとって都合が良く、後からキャリアパスがどうこうとか、ベンチャーに行って新たな生き方を、などと言っても、全部綺麗事にしか過ぎないのです。

しかし45歳定年制を提唱した新浪社長にしても、人事システムの見直しから始める気は毛頭ないでしょう。やりたいことは単なるコストカットなので、会社のシステムを一新するまでやらないのではないか、と私は思うわけです。


しかしサントリー以前にも、NECやパナソニックなどが40代の早期退職者を募ったり、ソニーが評価の低い社員を集めて朝から強制的な転職活動をさせるなど、40代以上の社員に対する「放逐」は始まっていました。

かつて会社はクラン(氏族)のようなもので、様々な年代の様々な人達が集まる場所でした。年長者は若者にスキルを教える役にまわり、会社全体の組織力をあげていたわけです。

しかしバブル崩壊後、どこからともなく現れた「人件費は悪」という風潮に流され、会社というクランは壊滅。リストラの嵐が吹き荒れ、熟練社員を追い出し、また若い人たちは雇い止めに遭い、不本意ながら非正規雇用に回らざるをえない状況となりました。

そして日本企業は、底力の源であった組織力を失ってしまいました。

人という資産を失った日本企業が転落の坂を転がり落ちるのは、それはもう早かった。

ただただ数字を見ることしかできなかった大企業の経営者たちは、一時は世界経済を席巻した大企業をことごとく衰退させ、21世紀に入りある程度経済が立ち直ってきたにも関わらず、リストラと事業縮小や売却でしか生き残ることができなかった。ひたすら会社を小さくすることで、生き残りを図ったわけです。

しかし社員も主要事業も売却し、会社だけ残して何になるというのでしょうか。


このような大企業の、自分の足を食べる蛸の如きふるまいを見て、優秀な学生たちはどう思うでしょうか。

きっと瀕死の老象が、プライドを失い、ただ生きるためだけにもがいてるように見えていることでしょう。

そもそも45歳以上の社員を追い出すような会社に、自分の将来を預けたいと思う学生がいるでしょうか?

新浪社長は「45歳定年制にすれば、社員たちは20代、30代で勉強するようになる」と言ってましたが、そんな優秀で向上心のある人材は、まず45歳定年制なんて馬鹿げた制度の会社を選ばないでしょう。

そうなれば社員の質は下がり、会社の業績はますます下がることになる。

「人件費は悪」と考える風潮の最も悪しき部分は、会社は人によって動いているという本質を度外視しているところだと私は思っています。

効率的かつ合理的な経営が推奨されて久しいですが、ゆえに数字上でしか経営を把握できなくなり、その数字の中に人がいるという感覚を忘れてしまった経営者が多くなったのでしょう。

そして大企業である傲慢さだけが先走り、45歳以上はいらないという放言をしてしまう。自分の会社は大企業だから、人を粗末に扱っても希望者はたくさんいるという感覚なのかもしれません。

しかし選ぶ方も人であり、自分を粗末にする会社は選ばないですし、年功序列制の都合のいいところだけ使って、自分を安く使おうとする会社は選ばないでしょう。

特に、いくらでも声がかかる優秀な若い人ならなおさらです。


はっきり言えば、この45歳定年制というものは、「未来を棒に振って食べる種籾のリゾット」なわけです。

この言葉は、今人気のソーシャルゲーム「ウマ娘 プリティダービー」のイベントで、ゴールドシップというキャラクターが言い放つセリフです。

元ネタは北斗の拳に出てくるミスミのじいさんです。

ミスミのじいさんは食糧難にあえぐ村のために、一週間なにも口にせず種籾を届けようとする人物なのですが、ケンシロウに「(種籾を)食べたらなくなってしまうが、種籾があれば毎年毎年米ができる」と語り、今より明日、未来の豊かさこそ大切と説くのです。

残念ながらミスミのじいさんは種籾を食べようとするシンの配下であるスペードに襲撃され、地面に散らばった種籾を見て「あ…明日が…明日が…」と印象的なセリフを呻くようにつぶやきます。

北斗の拳の舞台である世紀末の過酷さと人心の荒廃を見せつけつつも、それでも明日を諦めない人達がいるという印象深いエピソードです。

北斗の拳のスペードはケンによって倒されますが、ウマ娘のゴールドシップは種籾をリゾットにしてご満悦というわけです(笑)。

つまり、目前の利益と費用の圧縮ばかり考えている新浪社長の発想は、このゴールドシップの未来を棒に振って食べた種籾のリゾットと一緒なわけです。しかも奪った種籾を食べたゴールドシップとは違い、自社の蓄えを食べたのだから、なおたちが悪いといえるでしょう。

45歳定年制も、導入したときには45歳以上の高い人材を追い出せるからいいでしょうが、上にも書いたように、いずれこの会社の人事制度は否定的に思われ、優秀な若い人たちがこなくなり、やがては会社の衰退を招くことになるでしょう。会社の信用と組織力という種籾を、新浪社長は食べてしまったというわけです。

大企業だから黙ってても人が来る時代なんて、それこそベンチャーが勢いづく今にあっては、もはや幻想でしかありません。

もっとも、ここ30年近く種籾のリゾットを食べ続けたのが日本の大企業なので、今更という気もしますが、ついにここまで堕ちたのかとため息をつかざるを得ませんでした。

もっとも、新浪社長はサントリーの生え抜きというわけではなく、三菱商事からローソンへと渡り歩いている人物なので、サントリーの種籾のことより、自分の実績の方を大切にしているかもしれませんけどね。

次はその手柄をもって、より良い会社の社長の座に収まろうという腹かもしれません。


新浪社長は45歳で定年したら「ベンチャーに行け」と軽々しく言いますが、若い人が多いベンチャーが熟年者を中途採用するのは心理的障壁も高いものです。それこそ人件費に割ける予算も大企業ほど潤沢ではないでしょうし、大企業出身のプライドが高い、めんどくさそうな熟年者を雇うなら、同じお金で若くてスキルのある人を雇うはずです。

また再就職する熟年者側も、今更若い人の会社に入り、若い人たちに使われるのを良しとするでしょうか?

この新浪社長の発言、結局使えない熟年人材を新興企業に押し付けようとしているようにしか見えないんですよね。それで自分たちはフレッシュな人材だけを使い倒して会社の業績をあげたいと。

考えていることが邪悪すぎて笑いさえ出てしまいますが、こんな発言を日本を代表する酒造メーカーの社長が言ってしまうようになったのですね。もはや諦観しかありません。


TOKIOの「宙船」という歌に「おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールを任せるな」という歌詞があります。45歳以上の人間はいらないという社長は、まさに「おまえが消えて喜ぶ者」です。

大抵のリストラなんて経営陣の失策が原因なのです。自分の失策を社員にかぶせるような社長にオールを任せてはダメなのです(できれば会社のオール自体も任せたくないところですが)。

日本企業はこれからも衰退し、世界経済の中でプレゼンスを失っていきます。そんな中で、どの会社を選ぶのか、そして会社から追い出された時に生きていく力をどう身につけるのかは、これまで以上に必要になってくるものと思われます。

結局、最後に頼れるのは己の力だけです。日本経済の衰退を悲嘆しても我々は生きていかなければならないのです。

自分のオールを自分で漕げる力を身につけ、種籾を食べてしまう会社は選ばないようにして、賢くビジネスライフをサバイバルしていきましょう。

6年ぶりに中華鍋で炒飯を作りました

私はもともと料理が好きで、自宅に20種以上の鍋やフライパンがあるくらい、料理にハマっていたこともありました。

しかし、6年前に仕事のしすぎてメンタルを壊してしまい、以来全く料理ができないという状況になっていました。

そんな状況が変わったのはコロナによる自粛が始まってからです。

飲食店が行政の指示により夜の営業ができなくなったため、自炊せざるを得ない状況になってしまいました。

最初は冷凍食品や、スーパーのお惣菜など食べていたのですが、これらの料理は美味しくても味付けが濃いため、最初は美味しくてもだんだんと飽きてきます。味覚も刺激ですから、どんどん慣れてしまうわけです。

そんな自粛が断続的に一年も続いてきた結果、これまで全くやる気が起きなかった料理をしてみようという気持ちになってきました。

しかし体のリハビリと一緒で、いきなり最盛期のような凝った料理はできないので、簡単なところからはじめました。パスタや蕎麦を茹でるとか、料理とは言えないところからです。

そこからいろんな簡単な料理を経て、ようやく炒飯にたどり着きました。

その炒飯も、深めのテフロンフライパンを使って簡単に作っていたのですが、昨日ちくわぶ料理研究家の丸山昌代さんちくわぶの世界の著者でもあります)が美味しそうな自作炒飯の写真とともに、鉄のフライパンで作る必要性を主張されたツイートをしているのに感化され、久しぶりに中華鍋で炒飯を作ることにしました。

中華鍋は、料理に凝っていた時に購入した山田工業所の本格的なものです。

そして中華鍋の「熱さ」を活かすため、近所のスーパーでラードも購入。テフロンフライパンのときはごま油一択でしたが、丸山さんからの「両方使うと美味しい」とアドバイスを受け、真似して両方入れてみました。

ネギは蕎麦などの薬味用に売られている刻みネギ、肉はスーパーで本日特価で売られていた鶏チャーシューの切り落とし。味付けは北区が誇る調味料会社「あみ印」の炒飯の素です。

家庭用のガスコンロの火力には限りがあって、お店のようなパラパラ感までは難しいのですが、ラードと鍋の性能のおかげでそこそこ本格的な炒飯ができました!

たかが炒飯を作っただけの話なのですが、ここまでくるのに6年かかりました。
6年たって、ようやく中華鍋を使えるところまで回復したのです。

もう料理もしないしと、鍋たちを処分することも考えたのですが、料理ができるようになってくると、やはり料理は楽しく思えてきました。

どのみち自粛は続きますし、このまま料理を続けようと思います。今度は、以前みたいに叉焼から作ってみたいですね。


ところで、料理を面倒くさく思ってしまう原因の大半は、料理後の後片付けにあると思っています。

特にメンタルを壊してしまうと、仕事はおろか、家事や日常生活まで面倒くささを感じてしまうようになります。

私もメンタルを壊して6年たちますが、いまだ完治とは言えない状態です。料理ができなかったのもこのためです。

今回の自粛でやむにやまれない状況に追い込まれ、ようやく料理を再開することができたのですが、不思議とこれまでのような面倒さを感じず、以前のような楽しささえ覚えるようになってきました。

これは治療の成果でもあると思いますが、一番の理由は「食器洗い乾燥機」を購入したことです。

昨冬にアルコール消毒のせいで手が荒れてしまい、水仕事ができなくなったのが購入理由だったのですが、これのおかげで自炊に感じるめんどくささが驚くほど減りました。

何しろ、料理と食事が終わったら、シンクで食器を軽く流して食器洗い乾燥機に入れるだけで、食器がピカピカになります。むしろ洗い残しがないので、手で洗うよりもキレイになる印象。

以前から友人に購入を勧められていたのですが、まさかここまで便利だったとは。

「こだわらないで手を抜く」という行為は、社会復帰や再起のきっかけになるなと思いました。


「ちゃんとやろう」とするから面倒くさくなったり、うまく出来なかった時に落ち込んだりするわけです。

なら、面倒な手順をスキップできる手段を考え、機材などの導入などで「的確に手を抜く」ことで、何かを始める心理的障壁を下げることができます。これは料理に限った話ではありません。仕事もです。

日本人は精神論が好きなので「神は細部に宿る」とばかりに、目に見えないところにまで気を配りがちです。それは素晴らしい考えだと思いますが、本当に重要なのはアウトプットであり、細部にこだわっても結果が変わらないのなら、作業のダウンサイジングも必要だと私は考えます。

重要でない工程を省くことはヒューマンエラーを減らすことにもつながるので、本来症例されるべきことだと思うのですが、相変わらず精神論が横行し、後輩や部下いびりに修行と称して「不要な作業をやらせる」ことが続く不効率な日本社会では、「この手順いらなくない?」というとイヤな顔をされたり、評価さげられたりしがちです。

そういう効率の悪さが、あらゆる仕事のコストをあげ、メンタルを壊してしまった人の社会復帰などを阻んでいると理解されるといいなと改めて思った次第です。

効率のいい生き方をしたいものですね。

電脳おでん村正

半年ぶりの投稿となってしまいました。

お正月の投稿で「予告」していました新規事業ですが、2月に緊急事態宣言が発令し、先日まで継続していたことで完全にお流れとなってしまいました。

何をやろうと考えていたかというと、実は「レトロゲームが遊べるおでん屋」をやろうと考えていました。

去年のコロナ不況はIT企業やWeb制作会社にも大きな影響を与えました。うちのWeb関連の仕事はほとんどが請負仕事です。そのため、自粛要請によってイベントが中止に追い込まれたり、商品の販売を延期や中止するという事態になると、お仕事が立ち消えてしまうことも多々あります。

また、そのような理由によって仕事が減ったため、官公庁の仕事の入札倍率が爆上げしたりと、不景気を実感させる出来事が続きました。

そんな流れから、やはり、自分で何かしらのビジネスを動かしていないと、不安だと思ったわけです。

独自のビジネスといえば、一昨年まではライブハウスでイベントなども運営していたのですが、こちらもコロナで開催自粛がされる中で立ち行かなくなってしまいました(お世話になっていたライブハウスからの悲痛なメールも頂きました。力になれなくて申し訳ない…)。

なので、本来なら得意分野のWebで新しいビジネスを立ち上げるのがベターなのでしょうが、逆にコロナの影響で融資等の条件が甘くなっている中で、逆にこれまで経験のない分野に飛び込むにはチャンスかと思ったわけです。

では、なぜおでん屋なのか。

おでんは北区の名物です。まだ世間に認知されているレベルではないのですが、区もおでんの日を設定するなど、積極的なプロモーション活動が行われています。
私もそのおでん広報活動の末席に座っていたりするのですが、Webで広めるのにも限界があると感じたことと、一度リアルの店舗を運営してみたいと思い、自分でおでん屋をやることに決めたのです。

しかし、ただおでん屋をやるとなると、素人の私では太刀打ちできないので、アミューズメント的な要素を取り入れられないかと思案した結果、私が好きなレトロゲームと組み合わせてなにかできないかと考えました。

企画ができてからは、機動力に自信のある私、動くのはとても早かったです。

東商や区に相談に行ったところ、これまでにない店舗とビジネスモデルとの事で、多岐にわたるサポートをしていただけました。

一方で私も、レトロゲームで定評のあるBEEPさんにゲームの仕入れの話をしたり、某大手ゲームメーカーとコラボの話を進めるなど、精力的に準備に取り掛かっていました。

また、お店に飾るポスター用イラストや、看板などもデザインしてもらい、準備は着々と進められていました。

お店の名前は「電脳おでん村正」にしました。
村正は、私が好きなゲームの最強武器からもらいました。電脳は「なんとなく80年代感ある」ということでつけました。あの頃はコンピューターっぽいものは、なんでも電脳と呼んでましたよね(笑)。

しかし年も明け、お店のオープンはコラボの関係もあり3月に決め、あとは物件を決めれば準備完了という段階になり、にわかにコロナ感染者が急増。緊急事態宣言が発令され、3月の開店は絶望的となりました。

結局、オリンピックを前に不自然な形で解除されるまで緊急事態宣言は6月まで続いてしまいました。そして解除後も、酒類提供は19時までなどの厳しい制約が課せられ、飲食店を開くには難しい状況が続いています。

実は計画していたコラボについては、3月にやってこそだったのですが、こちらも完全に旬を過ぎてしまい目新しさがなくなってしまいました。

私の見込みも甘かったのですが、おでん屋を計画した去年の11月ごろは、Go toトラベルやGo to Eatsなど、様々な観光復興策が打ち立てられる中で、回復ムードもありましたし、うまく行けば道も開けると思ったのですが、どうやらこの賭けには負けたようです。

正直、政府や都のコロナ対策というか、緊急事態宣言の曖昧な運用方法などには非常に不満があります。
出店について相談に乗ってくれたおでん屋の店長も、緊急事態宣言発令直前に開店しなくて良かったと、むしろ運が良かったと思ったほうがいいと言ってくれました。

その緊急事態宣言も、なんの目的や落とし所もないまま6月までダラダラと続くとは思いませんでした。

飲食店経営者は皆疲弊しまくっています。特にお酒の提供をメインにしているところは、食事やテイクアウトなので凌いでいますが、お酒という原価率の低い商品で利益が出せないので非常に苦労しているようです。

飲食店ばかりではありません。飲食店を主な取引先にしていた酒屋や食材店や流通、果てはそこに農水産物を供給する第一産業まで、需要不足により大きな影響が出ています。

その影響はまわりまわって、私がいるWeb系、IT系まで及んでいるわけですが、。今の政府や都はオリンピックの開催にばかり頭がいって、国民にお願いをするばかりで不況対策を打たない様子ですね。

「お酒が出せない」ことで市井の飲食店が苦しんでいる中、後に撤回されましたがオリンピック会場ではお酒販売OKと言い出した政府や都の言い草は、スポンサー契約があるとはいえ、さすがに正気を疑います。

緊急事態宣言を発令するならキビキビとやるべきでしたし、その影響で経済が沈むのは分かっていたのだから、もっと積極的に財政出動するなどすべきだったのではないでしょうか。

なんにせよ、おでん屋を開くのはしばらく先、次に寒くなることかもしれません。そうしたらぜひ、遊びにきていただけると嬉しいです。

また、ポスターや看板の素材だけ作ってしまい、このまま寝かせるのも勿体ないので、主に北区のなにかを伝える「電脳おでん村正」のYoutubeチャンネルも作りました。こちらもぜひ、登録していただけると嬉しいです。

https://bit.ly/2Sz1dDL

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