明日7/5は都知事選です。そして我が北区では、都議補選も行われます。
王子駅周辺も常にどこかの候補が演説していていたり、ビラ配りをして賑やかな選挙戦を繰り広げていました。
選挙は、政治家や公務員ではない、一般人の我々が政治に直接関われる唯一の手段です。
最近は投票率の低さが問題視されていますが、民主国家の国民として、選挙権という重要な選択権は必ず行使するべきだと私は思っています。
誰にでも、自分が目指すべき生活や理想があるはずです。その生活とは自分一人で達成することは難しく、必ず社会との関わりが必要となってきます。
その社会の大本にあるのが国家や自治体といった行政母体であり、それらを動かすのが法律や条令です。その法律などを提案し、採択する権限をもつ人間を選ぶのが選挙です。
つまり、選挙とは回りくどい手段ではありますが、生き方のルールを決めるための行動であると言えます。
自分の人生や生活に関わる重要な選択を、誰かの手に委ねてはなりません。
投票に行かないということは、見ず知らずの、まして自分とは生き方の理想も常識も違う人に自分の選択権を与えるのと同じことになります。
確かに、最終的には多数決となるので、自分の理想の候補を当選させるのは難しいかもしれません。
しかし少なくとも選択に参加したという意義は生まれますし、敗北した場合でも得票差によっては当選候補のプレッシャーを加え、実際の政治活動で妥協を促すこともできるかもしれません。
どんな優秀な政治家も、一人も投票しなければ議員にはなれません。
その一票の積み重ねの、一番基本的なところに自分はいる、すなわち民主主義社会の一員としての責務を果たすと思って、ぜひ投票に行ってほしいものです。
日本と同じ民主主義国家だったギリシアのアテナイの市民には、選挙権と引き換えに兵役の義務がありました。
しかし日本では、成人した全国民には、生まれながらにして普通選挙権が与えられています。アテナイの市民のように、命を賭してその権利を守る必要はありません。ぜひ、投票にいくべきなのです。
SNSを見ていると党派性の強い意見が目立ち、対抗候補へのバッシングも激しく、冷静な意見を失いがちになります。
かといって、どちらの意見もバランスよく吸収するのは、マスメディアすらバイアスがかかっている現代の日本では難しいかもしれません。
さらに、我が北区では都議の補欠選挙もあります。候補5人全員が女性ということで好奇の目にもさらされていますが、言うまでもありませんが候補が女性でも若くても、政治活動を行うのは「個人」である以上、関係ありません。
サイレントマジョリティたる我々は、一部の騒がしい人達の意見は聞きつつも、誰かの意見や偏見を鵜呑みにせず、自分が目指す生き方を助けてくれる候補を選択し、票を投じるのが一番です。
なんにせよ、次の東京の4年は、明日決まります。
これまでの小池都政の四年間を振り返りつつ、次の都政はどうあるべきかしっかり考え、投票したいところですね。